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おわり

匂いというのは私たちの感覚を敏感にさせる。時に、不必要なまでに。昔のくだらない喧嘩やどうしようもない苦痛までもが、その時嗅いだ匂いとともに蘇る。要らないはずのエモーショナルな感傷とともに。
そう、匂いというのは私たちを敏感にさせるが、感傷というのは私たちを鈍感にさせるのだ。

3年前の春、私は当時別れたばかりの元彼の事が忘れられなかった。彼は無口で感情をあまり表に出さない人だった。彼の家で、私と2人きりになった時だけよく笑った。好きな理由なんて、それだけで十分だった。
彼は洗濯が好きで、ひとり暮らしだったけれど毎日のように洗濯していた。当時実家暮らしだった私は、家の洗濯を手伝ったこともないくせに、彼の洗濯物を一緒に干すのが好きだった。彼の洗濯は少し変わっていた。彼が洗濯をするのはたいてい日が暮れてからで、朝に取り込むのが好きだと話した。東向きの部屋だから、朝に取り込んだ暖かい服をそのまま着るのがいちばん気持ちいいのだそうだ。洗濯物の分け方も白い物と色物で分けるのでなく、タオルとそれ以外で分けた。「タオルを干すのが1番好きだから、最後に取っておきたいんだ。」ほんとに変な人。柔軟剤の匂い。好きな人の匂いってふしぎだ。好きな人を抱きしめた時の首筋から薫る匂いは、どんな香水よりも芳しい。柔軟剤は市販のものだけれど、彼の体温によって完成されるあの匂いは、本当に彼だけのものだ。

2人で埋め立て地の海に出かけた日の帰り道、あまりにも無口な彼に不安になり、人前で突然抱きしめて怒られたことがあった。前を歩く彼に私は泣きながらとぼとぼと着いていき、わざとらしく鼻をすすってみたりもしたが、彼は振り向きもせず、ただ呆れたような声で「恥ずかしいことはしないでよ」と呟くだけだった。

別れを告げたのは私だったけれど、未練があったのも私の方だ。部屋で1人すすり泣きしながら、悲劇のヒロインというのは観測者がいて初めて成り立つものだ、などとしょうもないことを考えた。
 
彼と別れて3ヶ月程たったある日、私は電車に乗っていた。大学進学と同時にひとり暮らしを始めた私は、ゴールデンウィークに早くも帰省をし、親からの土産を沢山抱えてまたひとり暮らしの家に戻るところであった。1番端の席にもたれかかりうつらうつらしていると、ドアが開いた音がし、隣に人が座ってくる。と同時に、あの懐かしい彼の匂いが薫った。嘘。私は反射的に顔を上げ横を見る。しかし隣に居たのは彼ではなく、全然知らないおじさんだった。おじさんは突然私に睨まれ、気まずそうに顔を背ける。たまたま彼と同じ柔軟剤を使っていただけだ。それはわかっていても、なんだかやるせない気持ちになった。3ヶ月経ってやっと冷静になってきたところだったのに、その匂いを嗅いで恋心が丸々蘇ってしまった。なんなんだ。彼ではなくて、おじさんの匂いなのに。果たして、私は彼そのものではなく彼の匂いに恋をしていたのだろうか?

その2週間後、私は彼の家にいた。適当な連絡を取ってなかば強引に会う約束を取り付けた。彼に会うためにネイルの予約をキャンセルした。好きな人のためにブスになるというのは、幸せなのか不幸せなのかよくわからない。懐かしい彼のベッドの、シーツの毛玉をなぜながら私はそう思った。隣に寝転ぶ彼は、決して自分からは私に触れようとしない。元々そういう人だ。でも私はこの人を簡単に勃起させることが出来るのだ。その気にさえなれば。この人が今、私にどういう感情を抱いているかということに関わらず。その事実が、ただただ悲しかった。ぜんぜん、ロマンチックの欠片もなかった。

その日の夜、私は自分の家にあるタオルを、使用済みのものもそうでないものもないまぜにして全部洗濯機に入れ、帰りに薬局で買った柔軟剤を入れて洗った。彼がずっと使っている1番安い柔軟剤。何かのランキングを制したのであろう、「No.1」と書かれた銀色のラベルが貼ってある。私はそれを剥がして捨てた。No.1になんかなるな。お前が売れれば売れるほど、お前の匂いの価値は下がっていくんだ。
洗濯機が鳴く。開けると彼の匂いがした。しかしそこに体温はない。もし彼が外傷なく水中で死んだとしたら、引き上げた服の匂いはこんなふうなんだろうか。そんなことを思った。

感傷は人を馬鹿にする。そう、現にこの文章だって、ありきたりな失恋を美化するための嘘が紛れ込んでいるのだから。

今日、3年ぶりにあの引き出しを開けた。棘だらけの思い出がくだらない感傷に変わるためには、それくらいの月日が必要だと思ったから。
タンスの上から3段目の引き出しに詰まった、ぎっしりのタオル。体温のない、どこか埃っぽい彼の匂い。ひとつ取り出すと、下に隠れていた防虫剤に「おわり」の文字が浮かび上がっていて、私はやっと安心することができた。


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