びたゃびたゃ
山田 敏機(やまだ・としき)
日本のアーティスト、宗教家、作家。「日本神創教」の教祖であり、株式会社箱庭のCEO、アートスクール「つくる」の学長を務める。
来歴
1964年 兵庫県明石市に生まれる。
彫刻家だった父の影響で幼少期から美 術に触れる。また、占い師であった祖母の影響で都市伝説やオカルトなどに興味を持つようになる。
1982年 大阪大学人間科学部に入学。臨床心理学を専攻し、ユング心理学について学ぶ。
1986年 大阪大学を卒業。一般企業に就職する。4年働いたのちに退職。山田はのちに自著 『君も神様を作れる』の中で「この時期は自分の人生でいっとうの暗黒時代だった」と語っている。
1991年 多摩美術大学絵画学科油画専攻に入学。
1993年 多摩美術大学の同級生とともに5人組アートユニット「はこにわ」を立ち上げる。
在学中に数回「はこにわ」の展示を行い、メディアに注目される。「はこにわ」のメンバーは山田よりみんな年下で、最年少の鈴木百合子は9歳、一番歳の近い石川洋助ですら6歳離れていたが、リーダーとしてメンバーに慕われていた。
1995年 多摩美術大学を卒業。卒業後は東京都西多摩郡奥多摩町に「はこにわ」のアトリエを構え、彼らと共同生活を送る。
1996年 彼らのアトリエの近くにあった川野精神病院 分院にて、アートセラピーのワークショップを実施。以降、2,3か月に一度のペースで同病院でのワークショップを行うようになる。
また、多摩美術大学をはじめとする東京の美術大学の生徒を集め、アルバイトという形で「はこにわ」の制作や展示などを手伝わせるようになる。
1997年 山田敏機として初めての個展を行う。
1998年 絵画『びたゃびたゃ』を制作。
この絵画は後に日本神創教の「タリスマンであり聖像画(イコン)的存在」となる。
山田は自著『彩りというのはすべからく君を見つめるのだ』の中で『びたゃびたゃ』の制作の際を振り返っており、「今までの制作とはまるで違っていた。するするするするりと手が動いて、何も考えなくてよかった。まるで神様が次の一手を教えてくれるみたいだった。あの時たしかにぼくは、自分の中にある、何かほかの セカイへとつながる、無意識の中のとびらを開いたのだと思う。」と語っている。
1999年 メンバーの石川洋介と道野清子が「はこにわ」を脱退する。
2000年 山田は「宗教法人 箱庭」を立ち上げる。アートセラピーから発展して、絵を描く・ものを作ることで、自分の中を見つめるということを教義とする。アートユニット「はこにわ」のメンバー鈴木百合子と大森博之を幹部とし、アートセラピーワークショップに参加した精神病患者や、「はこにわ」の制作に協力した美大生を中心に信者を獲得していく。
2001年 鈴木百合子と結婚。
2005年 「宗教法人 箱庭」を「日本神創教」に改名。
2006年 神創教信者であるキュレーターの大塚隼人のもとで展示「アウトサイダーアート 心の中をのぞく」を開催。
2007年 アートスクール「つくる」を創設。美大受験生に向けた「美大入試コース」と、精神障害者に向けた「箱庭コース」を設ける。
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