「クオリティは当たり前。スピードが伴って、初めてプロなんだよ」
今も人の原稿を直していると、昔自分が言われたことを、イタコのようにそのまま話しているな…と思う場面が多々あります。ネットニュース編集者としてのキャリアを振り返ってみるシリーズ、今回は僕自身が新卒時代に言われ、今なお脳裏に鳴り響いている言葉を、ご紹介します。
▼前回記事
「じゃあこのページを見て、記事を書いてみて」
ひょんなことから編集部に配属され、いきなりニュース記者になった僕。「とりあえずこの発表について原稿、書いてみて」と上司から送られてきたのは、厚生労働省が毎年実施している「愛の献血キャンペーン」のURLでした。媒体には載せず、あくまで教育目的。でも、初めて自分の原稿を「その道のプロ」に見せる瞬間だったので、とても緊張したことを覚えています。
自分なりに過去記事を見て、厚労省のプレスリリースを一言一句見て。何とか書き上げるまでに、2時間くらい掛かったような気がします。原稿を印刷して、編集長のもとに持っていって開口一番に言われたのは、「遅い!」の一言でした。
そして続けざまに言われたのが「この記事の何がニュースなんだよ」という言葉。ちなみにこの「遅い!」→「この記事の何がニュースなんだよ」というコンボを僕はこの後、幾度となく聞くようになります。ぷよぷよでいう、「えい!」→「ファイヤー!」(2連鎖)くらいの感じ。すいません、分かりやすくたとえたつもりが、むしろ分かりにくくしてしまいました。
その時僕は内心、「すみませんすみません…」と繰り返しつつ、心のどこかで「愛の献血キャンペーンに、ニュース性なんてあるのか…?」「お題としてこのリリースを渡したのはあなたでは…?」と、編集長の言うことに小さな反発を繰り返していました。「新入社員だから、初めのうちはあえて厳しく接しようとしているんだろうなぁ」なんて、生意気に考えながら。ただ、編集長に入れられた「赤字」を見たとき、そうした考え方は吹っ飛びました。「同じネタ元でも、こんなに分かりやすさが違うのか」「ああ、こういうことが言いたかったのか…」と。
🔷プロと「なんちゃって記者」の記事の違い
編集長による赤入れ(というかもはや書き直し)の入った原稿を見て、一番に驚いたのは「書き出しの分かりやすさ」でした。その記事が短文だったから、というのは大いにあると思いますが。
僕たちがやっていたのはネットニュース媒体だったので、その特性も大きいのですが、ネットニュースでは「タイトル」と「1文目」で、読者の関心をひきつけられるか/その記事が扱うトピックのニュース性を伝えきれるかがカギを握ります。
その視点でいうと、単に論理的に文章を構成するだけでは不十分で、読者の目線に立って、その情報のバリューを判断し、再構築していく必要があります。
先の「愛の献血キャンペーン」の内容であれば、「献血キャンペーンが何月にありますよ」みたいな表面的な情報というより、そもそも献血の需給が現状どうなっているのかや、例年なぜこのタイミングで行われるのか、過去の事例を受けて今年はどんなトレンドがあるのかなど、構造面に立ち返ったほうがまだ読者の関心には近く、多少興味を引ける可能性が高まる場合もあります。単に「リリースを要約して伝える」のではなく、一歩引いた視点で情報をとらえて、読者の目線で自由に再構成していく。それがこの仕事なんだなと感じました。
🔷とどめの一言で「終わった」
「で、このリリースについて厚労省の担当者はなんて言ってたの?」
「これがとどめだ」と言わんばかりに畳みかけてくる編集長の一言に、僕は再度「え?」と固まりました。そして、怒られるとわかりながらも、答えました。「確認してません…」と。
そして「電話取材していないとは何事か」と、当然のごとくきついお叱りを受けることになります。「たとえ媒体に乗せるものではなくても、これでお給料をもらおうと思うなら、付加価値をつけられるように頑張れよ」と。
これ以来僕は、どんなリリースを見ても「読者にとって欠けている情報はないか」を強烈に意識するようになりました。しかしそれでも、失敗談には事欠きませんでしたが。。
🔷「時間をかければ、記事なんて誰でも書ける」
僕はもともと大学時代も予備校で小論文を教えたりしていたので、基本的な文章能力に大きな問題はなく、「記事ってこういうもんでしょ」というテンプレートに要領よく当てはめて書くのはそれっぽくできていた方だと思います。ですが、記者としては、これでは当然ながら不十分でした。
どんな内容もゼロベースで受け止めなおして、読者がニュース性を感じる内容を軸に書き始める。初めからテンプレ通りにあてこめて書くのではなく、「結果論としてテンプレ的な構成に落ち着いていく」というのがそもそもの姿なのだなということを、編集長からは学びました。
「時間を掛ければ、記事なんて誰にでも書ける。クオリティが高いのは当たり前。それをスピーディにやり続けられるのがプロなんだよ」。
それが編集長からは口酸っぱく教わったことです。語弊を招く表現かもしれませんが、「質」だけではなく「納期」、スピードが大事だという考えは僕にとって新鮮でした。
あれからもう10年くらい経っていますが、ライターや編集者を見ていると、質をあげようとうんうん唸ってほとんど記事を書かない人も少なくありません。逆に、スピードばかりを重視して質の方は犠牲になって当然、のようなことをいう人の姿を見たこともありました。現実問題としてそういう場面はありますが、二律背反に見える「質」とスピードの双方に対し、うまいこと帳尻合わせて読者に刺激を届けていきたい。それがプロなのかなぁと、今でも思っています。
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