検証 「ナチスは良いこと」もしたのか?
2024年3月の図書はこちら。
『検証 「ナチスは良いこと」もしたのか』
著:小野寺拓也・田野大輔
かなり久しぶりの要約。
去年からドタバタしていたこともあり、本を読む時間も中々取れなかったこともあり、読書自体が久しぶりに感じた、
今回の本は、先日、代官山の蔦屋に行った際に本の題名がインパクトがあり、目につき手に取ったもの。読んでみたら想像以上に面白かったので、なんとかそれが伝わるように纏めていきたい。
1. ナチスは何を目指していたか
ナチ党はどのようなビジョンを国民に伝えていたか。
それは、勤勉に働くドイツ国民は皆「民族同胞」であって、生まれや育ちに関係なく誰もが等しく国家による支援と保護を受け、幸福な生活を営むことが出来るという事。
これだけ聞くと、ナチ党はすごく良い社会を形成することを掲げていたのかを思うが、こうした「団結」や「調和」には裏の側面があった。
その裏の側面というのが、ユダヤ人やシンティ・ロマ(ジプシー)、政治的敵対者、同性愛者や障がい者など、「共同体」の敵とされる人々を徹底的に排除するという側面。
民族共同体の構築によって国民の支持を取り付け、それによって敵(ユダヤ人など)に対する戦争や暴力を可能にすること、それがヒトラーが目指したものだった。
そして、ドイツ国民を民族共同体として統合し、将来の豊かな生活を期待させることで体制への順応を促進しようとしていたのである。
なぜこんな事をしていたのか?
それは、民族共同体の中での優遇措置は究極的には侵略戦争という目的に奉仕するもので、彼らを軍需生産に繋ぎとめておくための社会政策的譲歩をするためだった。ここで出てきた侵略戦争を目的としていた点については後述にて。
纏めると、
民族共同体を構成する
⇒敵を作る、優遇措置をとる
⇒共同体の繋がりが強くなる
⇒国民に戦争や暴力が受け入れられてくる、軍需生産に取り組んでくれる
⇒侵略戦争を遂行できる
てことで、良い社会を形成するようなビジョンを掲げていたものの、その最終目的は侵略戦争だった、という事。。
2. ナチスはどのようにして権力を握ったか
1にて述べていたものをナチスが目指していたとしても、それをどのように成しえていったのか、その部分を時代背景と共に書いていく。
1920年代後半まで
ナチ党は、急進右派の群小政党の一つにすぎず、他の政党や団体とそれほど変わりはなかった。
唯一違ったのは、大衆を熱狂させることのできる演説家で政治的・組織的な手腕に長けた指導者を有していたこと。
1920年代後半
ナチ党は、突撃隊と共に街頭で流血の騒ぎを起こして、世間の注目を集めた。ヴァイマール末期の政治・経済の混乱の中で多くの若者や失業者を惹きつけ、暴力的なダイナミズムで街頭を席捲していた。
1930年代前半
世界恐慌の影響で経済危機が深刻化すると、全国進出に向けた活動を本格化した。全国を飛び回るヒトラーの精力的な姿はヴァイマール体制の対極を成す若く行動力にあふれた指導者のイメージ形成に役立った。
ヒトラー首相就任以降
ナチスの宣伝により「子供に優しいヒトラー」というイメージを作り上げ、絶大な人気を誇った。ヒトラーは庶民的で情け深い指導者を演じ、誰もが持つ親しみの感情を媒介にしてヒトラーと民衆は情緒的に結びついていた。「ヒトラーにも優しい心がある」と思いたい、そういう心情こそがナチ体制にとって重要な政治的資源だった。
ここまで時代背景と共にナチスがどのように権力を得ていったかを記載したが、その根源にあったのはナチスの宣伝の上手さだったと言える。何が上手かったかというと、その時々の政治・経済的状況に対応する臨機応変さにあり、その時々の広範な国民の求めるものを掴み、感情を揺さぶる言葉やイメージに転換していくことに長けていた。
ナチスのイメージ遷移
「暴力的」⇒「精力的」⇒「庶民的」
つまりは、国民が何を求めているかを素早く的確にキャッチ、それを言葉や行動・イメージに転換、そしてそれを広く宣伝。このようにして、ナチスは権力を得ていった。
3. ナチスが行った政策
2ではどのように権力を握ったかを記載したが、ここからは具体的にナチスがどんな政策を打ったのかを書いていく。
アウトバーン建設を例に、ここがよく論争になる部分で、実はナチスもよい事をしたんじゃないのか?政策として先進的なものを打っていたんじゃないか?って思われる事があるが、その真意について纏める。
3.1 経済政策
ナチスの経済政策として一番有名なのがアウトバーン建設。
ナチ政権が打ち出した雇用創出策のうち、大きな目玉事業とされたのがアウトバーン建設だが、実はこれはヒトラーの発案ではなかった。ヴァイマール時代に民間組織によって構想され、一部で実現したものを継承したのみであったが、ヒトラーは国家の一大事業として打ち出して大々的に宣伝したのである。あたかも自分が発案者かのように、、、
また、このアウトバーン建設は、経済政策として雇用創出や景気回復を目指していたと思われがちであるが、実のところ経済目的のみを追求していたわけではなかった。
ナチ政権がこの政策で重視していたのはアウトバーン建設のもたらすプロパガンダ効果であった。ナチ政権のもと大帝国を建設し、ドイツ民族を一つにまとめ、「民族共同体」を可視化する上で格好のシンボルだったのである。
経済政策としては、効果があったのだろうか?
その答えとして、アウトバーン建設によって雇用が生み出された事は事実だが、当時の失業者数を踏まえると効果は限定的だった。
全体として、ナチ政権によって失業者数は減少したが、その要因はヒトラーが政権を握る以前に既にドイツの経済が底を脱し、回復局面に入っていたことが挙げられる。
纏めると、ナチスは経済政策を打ったが効果はそんなに無く、アウトバーン建設に至っては「民族共同体」の為のプロパガンダ効果という経済政策とは別の目的があったという事。
3.2 社会政策
次はヒトラーがどんな社会政策を打ったか。
社会政策はヒトラーにとって最も重要な政策課題の一つであり、就業人口の50%以上を占める労働者層を取り込むことを重視していた。
理由としては、当時、社会主義、共産主義勢力の影響下に置かれ、ナチ党への支持が相対的に低かった労働者層を自らの陣営に取り込まない限り、政治体制の安定化が見込めなかったため。
では、そのマジョリティを占める労働者層を取り込むために、何をしたのか?
一つとしては、労働者層を称揚するようなプロパガンダを展開した。
また、その一方で、物質面でも彼らの消費生活水準向上に繋がるような、種々の社会政策的措置を行った。
①格安のラジオ
ナチ政権は当初から魅力的な消費財を低価格で広く普及させることに精力を注いでおり、その第一弾がラジオであった。
格安の為、各家庭に急速に行き渡ったラジオは、政府の宣伝手段でもあった、、
②国民車 フォルクスワーゲン
政府主導で低価格な自動車を生産し、それまで贅沢品だった自動車を労働者でも購入できるようにした。
ラジオやフォルクスワーゲンを普及させるといった様々な社会政策を打った背景としては、前述の通り労働者層の取り込みが挙げられるが、その前提となる大きな目的としては二つある。
(Ⅰ)労働者を全面的に管理・統制し、政治体制の安定化を図った。労働者はナチ政権下にて様々な権利を奪われ、監獄のような体制の中にいたが、彼らが文句を言わずに働くようにする為、一種のご褒美として上記に挙げられる社会政策が打たれた。
(Ⅱ)様々な優遇措置を講じて、労働力を維持・強化し、国家目的への動員を図った。
じゃあ、この前提の目的での更に前提となる目的、(Ⅱ)でもあるナチ政権が考える国家目的って何なの?って思った、そこのあなた!!鋭い!!
その国家目的が正に、戦争。
ヒトラーはとにかく早くドイツを戦争可能な状態にすることを最優先事項としていた。その理由は、ヒトラーの考えではドイツは資源に乏しく、原料を輸入に依存している事に弱点があり、これを自国で賄うには十分な資源を有する土地を獲得する、つまり生存圏を拡大する必要があった。
纏めると、
ドイツ資源乏しい、、弱い、、
⇒資源必要、、
⇒生存圏拡大が必要だ!
⇒戦争だ!
⇒戦う為に人が必要、、
⇒労働者を維持・強化だ!
⇒よし、社会政策を打とう!
って感じ。
なんという考え方、、
ちなみに、社会政策として打たれたフォルクスワーゲンに至っては、数十万人もの人々が積立金を支払い、巨大な生産工場が建設されたにも関わらず、予約購入者に一台たりとも納車されないまま、開戦後に生産ラインが軍用車生産に切り替えられた、、
3.3 家族支援政策
ナチスは様々な家族支援策を行い、特に母親であることを精神面、物質面で称賛した。
①「母の日」を国民的祝祭として大々的に祝うようになった
②子供を多く生んだ母親には十字章が贈られた
これは、子だくさんであることと前線における戦闘は、国家にとって同じくらい重要な貢献であると象徴的に示していたのである。
経済面で言えば、結婚資金貸与制度があり結婚したばかりのカップルに100RMが貸与された。また、一人子供を産む度に四分の一が返済不要となった為、子供を4人産めば100RMすべて返済不要となったのである。
このような形でナチスは家族支援策を行っていたが、そもそも何を目指していたのか?
その目的としては二つある。
①戦争を戦い抜く為の「民族共同体」の構築
第一次世界大戦にて最終的な敗因となったのが、国内における革命だった。
それを繰り返さない為に、国民に対しては十分な配慮を示すしかなく、その姿勢を示し実際にもそれを実行に移すことで、人々の戦争協力を引き出そうとしていた。
②人口の質向上
これらの家族支援策の恩恵にあずかったのは「民族同胞」のみであり、社会主義者や共産主義者といったナチスの政治的敵対者、ユダヤ人、障碍者や「反社会的分子」とされた人々は排除されていた。
民族全体の「身体」、健全性を脅かす存在は排除し、民族隊としての質を向上させようとしていたのである。
つまりは、①②にある通り、戦争や民族としての質向上といった歪んだ目的が裏側にはあったという事、、
ここで一つ面白いのが、これらの支援策によって結局子供が増えたのか?という点。
答えとしてはNo。
子供の数自体は増えたが、その要因はナチスの政策によるものというよりかは、景気回復によって結婚の絶対数が増えた為であった。世界恐慌によって結婚を先延ばしにしていたカップルが景気回復によって結婚に踏み切ったという要因が大きかったのである。
また、支援策があるにも関わらず、この時期の1家族あたりの出生率は1.8人で多くの夫婦にとって子供は2人で十分であったことが分かる。
更に言えば、妊娠中絶は違法行為であったにも関わらず、毎年50万~100万の女性が中絶を行っていたとも、
結論としては、この時代のナチスが強烈な策を打ったとしても子供を増やすことが出来なかったことを踏まえると、子供を増やすことを国家が政策で行うことは非常に困難であると言えるのでは。
3.4 健康政策
最後にナチスが行った健康政策について。
ナチスは健康政策として、禁酒運動や禁煙運動を行っていた。
その目的としては、ナチスは「民族体」というドイツ民族を一つの身体として捉えていたことにあり、一人ひとりの健康の問題は個人に限らず、ドイツ民族全体に関わる問題であると考えていた為である。そして、アルコールやたばこによって「遺伝的障害」や「生殖能力」の損傷が起きれば、それはドイツ民族全体に取返しのつかないダメージを与える事になり、そうであれば禁酒や禁煙を推奨しよう、という事である。
ただし、事実としてナチスは禁酒・禁煙を求めていたのではなく、過度な飲酒・喫煙は良くないよ、と言っていたのみであった。
むしろ!!飲酒・喫煙を推奨していた場面もあった、
では、なぜ酒やたばこが推奨されたのか?
その理由としては二つ上げられる。
①経済的理由
アルコールもたばこも国家財政にはドル箱だった。
アルコール税・たばこ税が国家歳入の少なくない割合を持っており、重要な収入源を国家がみすみす手放すことはなかったのである。
②生産的理由
たばこやアルコールは戦争にて人々から生産性を引き出す上で重要な役割を持っていた。
②-1 たばこ
ニコチンは肺に吸入されるとただちに血中に送り込まれ、中枢神経を刺激する。その意味で、人間を直ちに「臨戦態勢」にするのに役立つ格好の嗜好品だった。
②-2 アルコール
兵士の労働に対する「報酬」として役立っていた。
殺害行動の前に酔っぱらうことで、それに関する苦しみを紛らわす役割を持っていた。また、兵士たちが互いに酒を酌み交わすことで戦友意識(連帯感)を強めることも重要な目的であった。
要は、国家にとってお金確保に使われていたり、戦争でしっかりと戦ってもらうためにたばこやアルコールは用いられ、それを摂取することが推奨されていたという事。
4. 結局、ナチスは良いこともしたのか?
ここまでナチスが行ってきた政策について記載してきたが、結局のところ、ナチスは良い事もしたのだろうか?
答えはNo!
すべてこれまで記載した通りで、良い事もしたと見受けられる政策は、すべて国家や戦争の為だった。それが本当に良い事と誰が言えるのか。
では、なぜ肯定したがる人々がいるのだろうか。
それはヒトラーを悪の権化と決めつける「教科書的」な見方に不満を抱き、「ナチスも良い事をした」といった斬新的な主張に魅力を感じているからではないだろうか。
長々とナチスについて記載したが、果たして本の要約になっているのか、それが心配(笑)
最後に感想を書くとしたら、歴史を正しく読み取るという事がいかに重要か、そして読み取った上で現在と将来をどのようにしていくべきかを考えることが重要なのだと思った。
情報を正しく読み取らなければ誤った方向に向かうだろうし、歴史は繰り返すことを踏まえると情報をどのように利用するかが大切ってことか、
とにもかくにも、まずは本を読んだり勉強する、それを情報発信をする、そしてそれらを継続する事が自分たちに今できる事なのかも。
歴史的事実を客観的に教えてくれて色々と考えさせられる、とても良き本でした!
お わ り
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