「きよしこ」を改めて読んだ日

久しぶりすぎるnoteの投稿になった。
前回の投稿が4月。
5月には自分の誕生日も迎えたし、6月には恋人と同棲をスタートして、8月は地元に帰省もした。9月は職場でお世話になっているチューターの転職を知って絶望し、今、10月は自分の転職の可能性について考える機会が増えた。
これだけ色々とあったのに、読んだ本たちの感想文を書きそびれていた。もったいない。

8月の帰省のタイミングで、何冊か実家から本を借りて帰った。
その中で、中学生くらいの時に読んだ重松清さんの「きよしこ」を久しぶりに開いてみたので感想文を残します。

胸の中にある伝えたいこと

名前はきよし。どこにでもいる、君によく似た少年。言葉がちょっとつっかえるから、思ったことをなんでも話せる友だちが欲しかった――。お話は、あるクリスマの夜、不思議な「きよしこ」との出会いから始まる。出会い、別れ、友情、ケンカ、そしてほのかな恋……もどかしい思いを包むように綴られる、「少年のすべて」。

中学生の自分は、この本を読んで1つの物語ごとに主人公の「きよし」と自分を重ねて涙を流していた。
この本は今の自分の気持ちが全部書き表していると思って、夏休みの宿題の読書感想文も書いた、気がする。
もう一度読み始めるとき、またたくさん涙を流して、切なくてたまらくなるのかなと思っていた。
が、約10年ぶりに読んだ結果、自分ときよしを重ねて泣く、というよりは、きよしの気持ちに共感しながら、その日々に見守る気持ちになった。

涙を流せなくなっている自分に悲しくなるかと思っていたけど、最後のページまで読み終わってから、自分の気持ちを伝えたいともがくきよしに、あのとき泣きながらこの本を読んでいた自分に、今日まで10年間、なんとかかんとか生きてるよ、大丈夫だよと声をかけたくなった。

きよしが抱える吃音と、繰り返される転校、そこで出会う人々を軸に物語は進んで、きよしは成長し、少年から青年へと時間は過ぎていく。
吃音矯正教室で出会う少年、転校先の土地で出会うアル中のおじさん、初めて書いた脚本、無神経なヤンキーと刺される鞄、自分と同じ転校生、自分の通訳をしてくれる彼女。
その全ての人々と、日々を過ごして、きよしは言葉を詰まらせながら、気持ちを伝える。もちろん、伝えられなかった、伝えなかった言葉もある。

そんな日々を過ごしても、幼少期に一度だけ会いに来てくれた「きよしこ」は、物語の最後にようやく会いに来てくれるまで、姿を現すことはなかった。
きよしが唯一言葉を詰まらせず、でも独り言ではない気持ちを伝えられる相手だった「きよしこ」は、姿を現さなかった間、きよしを見守っていたのだろうか。

「それがほんとうに伝えたいことだったら・・・伝わるよ、きっと。」

最後にきよしにこう伝えた彼は、それまできよしの口から流れた言葉も、しまいこんだ言葉も、全部かき集めて、きよしの日々を認めてくれているようだった。

中学生のときの私は、自分の本当に伝えたい気持ちをどこに伝えたらいいかわからず、伝えられる相手も見つけられず、もがいていたんだっけ。どうして分かってもらえないんだろうって、泣いていたんだっけ。

あのときの自分にとっての「きよしこ」はいつ会いにきてくれるだろう。今の自分だろうかと思ったけど、きっとまだ、今の自分は「きよしこ」にはなれていないんだろうな。
未だに伝えたいことも伝えられないこともある。伝えるタイミングを間違えて、後悔することもある。
きっと私にとっての「きよしこ」が現れるのは当分先になりそうだなぁ。


実家から持って帰った本たちはもう読み終わってしまった。
大好きな瀨尾まいこさんの本、母にあなたに合うと思うと勧められた木皿泉さんの「さざなみのよる」、去年あたりから読んでいる大山淳子さんのあずかりやさんシリーズ。
ちゃんと読み終わって、すぐにそのときの気持ちを文字に残すべきだったなぁ。

次にあと3冊、この前買った本たちが待ち構えている。やっぱり瀨尾まいこさんの3冊。文庫になるまで待ちきれなくてハードカバーで思いきって買った本たち。
早く読みたいような、読み終わるのがもったいないような、そんな気持ちだけど、ちゃんと読んで、また感想を文字に残そうね、来週の自分。

おしまい!

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