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住吉学園からの手紙

「そう言えば、例の手紙もう届きました?」

行きつけの店の主から不意に冗談のような話を聞かされたのは、丁度、一、二週間ほど前だった。なんでも、コロナウィルスで困っている地域住民に住吉学園という地元の財団法人が現金を配ってくれるのだという。

まさかそんな冗談のような話があるものかと思っていたら、自宅に住吉学園から一通の手紙が届いていた。封筒には「復興支援金」と記載されている。それでも何かの詐欺ではないかと疑ってしまうところが小市民の悲しい性だが、Twitter検索をしてみると同じ手紙をもらった人が他にもいるようだ。金額も店主に聞いた通り。給付に先立ってお金を振り込むようなことも書いていない。

どうやら、本当にお金が降ってくるらしい。

そうこうしていると、この件について詳しい記事が出ていた。

住吉学園という財団法人は旧住吉村界隈の土地を多く所有しており、そこから得られた地代を始めとする財産が豊富にあるようだ。こうした財産を活かして、地域社会の福利増進と文化の継承に力を入れているという。筆者も知らなかったが、神戸市立東灘図書館や住吉だんじり資料館、「うはらの湯」といった温浴施設も住吉学園が寄贈したものであり、阪神・淡路大震災の時には被災者に対する現金給付も行ったことがあるそうだ。なんだか地元を仕切っている組織のようで凄い。

興味が湧いたので、旧住吉村について調べてみた。

旧住吉村(現在の神戸市東灘区のJR住吉駅北側周辺)は、かつて数々の財閥家の邸宅が並んだ富裕層の居住地で、戦前の一世帯あたりの所得税納税額の平均値は全国でも並ぶものがない地域だったようだ。阪神大水害により被災するといった苦労も経験しているが、戦後の高度成長に乗って神戸市が宅地開発を進めることに合わせて土地を売却し、その財産を回復していったらしい。

なお、住吉学園が現在も多くの財産を保有している理由は、かつての財界人達の知恵のおかげのようだ。戦後、住吉村は神戸市に合併する際に財団法人を作り、周辺の土地を寄贈した。他の町村は財産区となる方法を選択したが、それでは財産の処分に際して神戸市長の決裁が必要となる。財団法人を設立し、それを地元の市民代表たちが管理運営すれば、住民による財産処分の自由度が残るというわけだ。なるほど、制度や経済の仕組みに通じた人間の知恵らしい。

図らずも、今回のコロナウィルス騒ぎでこうした先人たちの知恵が役に立った。神戸市民にとって「復興」という言葉は重い。市民が自らの責任において地域社会を育んでいこうとする時に使われる言葉だからだ。今回の「復興支援金」も、一法人に過ぎない財団が地域経済の担い手たろうとする強い気概を感じる。

これに対して、政府の定額給付金はどうだろうか。10万円という金額は小さくない。しかし、その財源は主として国債発行によって賄われる。金利を返済し終わる頃には、給付を決めた政治家たちはこの世にはいないだろう。給付の理由も「国民の一体感醸成のため」という曖昧なものだった。目的を明確にすれば、対象を限定して手厚く給付することもできただろう。自治体の努力で神戸市民への給付は早かったが、自らの懐が傷まない政策を通じて不明瞭な政策目的を達成しようとすることに、どれほどの意味があるのだろうか。付け加えるならば、10万円の給付で本当に国民の一体感が醸成されたか、政府は検証するつもりはないだろう。(かといって、大規模な事後調査のために多額の支出を行ってもらっても困るのだが。)

ひょっとしたら、住吉村の先人達はこうした事態が起きることを見抜いていたのかもしれない。市民から権限と財産を託された代理人に過ぎない政治や行政が、いかに厄介で手に負えない存在か。いざという時に、市民が自由に扱える財産がないことがどれほど悲しいことなのか。自然や文化の継承は良く語られるが、財産の継承も重要であることが今回の出来事で良く分かった。

手紙からは「気前よく使ってやってくれ。」というメッセージを受け取ったような気がした。支援金はまだ届かないが、それを見越して早々に地元で痛飲したことは言うまでもない。とはいえ、きっと支援金は課税対象なんだろうな。やれやれ。


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