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マドンナのヴォーグは古典にして名作、ライブMVの完成度も半端ない。ぜひ両方見てほしい!(オススメMV #7)

こんにちは、吉田です。
オススメMVをご紹介する連載の7回目です。(連載のマガジンはこちら)

今回は、ポップの女王ことマドンナのMVのご紹介です。

マドンナは優れたMVを多数出していますが、その中でも既に古典の域に達している名作のご紹介となります。
「Vogue(ヴォーグ)」、どうぞご覧ください!

どうですか?
ダンスミュージックMVのひとつの完成形とすら思わせます。
それほどこのMVは完成度が高く、非の打ちどころがありません。

マドンナ(Madonna)は、皆さんご存知の通り1980年代初頭より既に40年近くポップス界の頂点に君臨し、ヒット曲を多数送り続けているシンガーでありアーティストです。
これだけ長い間トップに君臨するのは並大抵のことではありません。
いくつか理由がありますが、そのひとつが「新たな文化や流れを取り入れるのがうまい」ということが言えます。

当時、ゲイの黒人を中心としたアンダーグラウンドカルチャーの中に、「ヴォーギング」と呼ばれるダンススタイルがあり、そのヴォーギングを取り入れてできたのがこの「Vogue」のMVになります。
ヴォーギングを取り入れることでこの素晴らしいMVが生まれたのですが、アンダーグラウンドの方々からそのカルチャーに属しないマドンナがヴォーギングを使って商業的に成功したことに対する批判も出ているようです。

難しい話ではありますが、このMVはのちのダンス系MVにも多大なる影響を与えていることは事実であり、その意味でもマドンナの取り組みは価値があったと思わざるを得ません。

さて、MVの話に戻って、実はこの「Vogue」のMVには、対(つい)になるMVがもうひとつあります。
それがこの「Vogue(Live at the MTV Awards 1990)」となります。

どうですか?
もう背筋がゾクゾクするぐらい素晴らしいですよね。
このライブは1990年のMTV Awardsで披露されたものですが、このパフォーマンスを生(なま)で見た方は本当に幸せ者です。

ではここからMVの解説に入りましょう。

「Vogue」のMVは、上にも書きましたが、非の打ちどころがありません。
楽曲と映像のバランスが素晴らしく、常に楽曲が前に出ています。
決して映像が弱いわけではなく、構図やカット割りは大胆なのですがソフトフォーカスのモノクロの映像のためにインパクトがうまく抑えられているので、印象付けをしながらも楽曲の押し出しに成功しています。
マドンナの露出も、無駄に出さずにポイントを絞っているのも脱帽です。

しかし、MVの「Vogue」の成功があったのに、なぜ全く違う設定のライブにしたのでしょうか?
それには理由があります。

オリジナルのMVの設定では、マドンナの立ち位置が明確ではありません。
つまり、マドンナが「女王」ではないのです。
しかし、MVの映像の中では、マドンナが画面に出るタイミングや出かた(大きさや角度や映像効果など)でマドンナが特別な存在であることを表現し印象付けをしています。
しかし、ライブパフォーマンスの中では常にマドンナは舞台上におり、その大きさはもちろん変わりません。
つまり、オリジナルMVと同じ設定ではマドンナが「女王」になれないのです。

そこで、ライブパフォーマンスではマドンナが明確に「女王」あるいは「特別」な存在である「設定」が必要になるのです。
そこで、用意された設定が「貴族」の中の「女王」であるマドンナと、お付きの女性や取り巻きの男性という構成と考えられます。
これにより、マドンナの立ち位置を明確にし、常に観客の視線を集中させ印象付けることに成功しています。

ライブのオリジナルMVと全く違う設定は、観客に対してオフィシャルMVと全く違う世界観を提示することによる印象付けに成功していると同時に、ライブに合わせたマドンナの特別な立ち位置を作ることに成功しています。
もちろんライブの中でもしっかりヴォーギングのダンスパフォーマンスをしているで、そのへんもしっかりツボを押さえていますね。

なお、マドンナの「Vogue」がのちのMVに多大な影響を与えた、という説明をしましたが、ヴォーギングは多くのMVで変化し多様化しながら取り入れられています。

ひとつ面白い例をご紹介しましょう。
TKA twigsの「Glass & Patron」というMVをご覧ください。

凝りに凝ったMVですよね。
特に後半のダンスシーンは素晴らしい!

このTKA twigsのMVは、多くのことを教えてくれます。
独自の世界観を強く打ち出し、印象的なMVに仕上がっています。
そして、後半の圧巻のダンスシーンでは複雑化され進化したヴォーギングが見られます。

しかし、この作品は、MVというより「映像作品」として優れており、楽曲は映像の演出のひとつになっているように感じられます。
これは、このMVにのみ言えることではなく、最近のMVの多くに見られる傾向で、楽曲の印象が残らず映像の印象だけが残るMVが多くなっています

楽曲と映像のバランスがすぐれたMV、もっと明確にいえば楽曲のための映像という関係を実現しているMVの多くは、その楽曲を唄っているのはシンガーであり演奏しているのはミュージシャンである、と考えています。
しかし、映像作品としてのMVでは、シンガーやミュージシャンよりも「アーティストの作品」という表現のほうが適切でしょう。

これは、良い悪いということではなく、カテゴリが違うのでそれを認識して観ればより楽しみが広がるのではないか、ということです。
(もちろん、映像作品としてのMVの中でもお気に入りの作品も多数あり、この「Glass & Patron」もその中のひとつです)

ちなみに、このTKA twigsのMVは、マドンナの「Vogue」のライブ版と似通った設定(女王とその家来)になっているのも面白いところです。
TKA twigsのMVについては、この設定でライブを見てみたいものです。

このマドンナの「Vogue」のMVは、シンガーであるマドンナの楽曲を最高の形で表現するためのMVに仕上がっている名作といえるでしょう。
マドンナにはまだまだご紹介したい優れたMVがあるので、少し間をおいてからご紹介したいと考えています。

ではまた次回に。

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