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てりどんきんしじごくもり

ヤサイマシアブラニンニクカラメ(二郎)
コーテルイーガーソーハンエンザーキー(王将)
ダークモカチップクリームフラペチーノグランデ(スタバ)

店やトコロを変えれば、知らぬ人にとっては異国の言葉の様な、呪文めいた注文がある。
何の事はない、商品の注文に対応したオプションや数量、カスタマイズの指定をしているのだが。
そう言えと書かれているスタバは、最長200字を超えるオプションの積み重ねが出来る。Twitterで書ききれないのは相当ヤバいが、元々のモノの名も中々に長いため、やはり呪文化は免れない。
二郎は、正直関西人の自分は二郎リスペクト店しか行ったことがないので、実際にこの符牒を言った事はない。ああでも、家系早死に三段活用のカタメオオメコイメは言った事があるよ。
王将のソレは、どちらかと言えば客の喧騒に紛れず注文を通すための店側の符牒だから、客が使うのはどうかと思う次第。知っているのはツウかも知れんが、使うのは無作法と心得ている。

さて、表題のそれだ。

てりどんきんしじごくもり

京都、千本御池を西へ、JR二条駅を超えて、交差点を北に住宅街に入った公園の近く。
「中國菜 大鵬」
そこで頼めるメニューが、「てりどんきんし」である。
字面が…漢字ではないのに、既に物騒な雰囲気が立っている。
これは符牒?と思いそうな雰囲気だが、実は違う。
商品名そのものなのだ。先の例で言えば、スタバに近い。メニューにそう書いてあるのだから、客もそう言うのだ。

「…てりどんきんし、じごくもりで」

はーい、と元気よく店員が返し、引き上げていく。無事伝わっているのだが、メニュー名の物騒さに、初客であれば「何が来るのか」と戦々恐々とせざるを得ない。
てりどん?きんし?じごくもり…地獄?

フードファイターでもさせられるのか?と不安になっているところに、ソレが到着する。
ラーメン鉢に入った、大型の丼。茶色に照り返った山盛りの豚肉に、下に敷かれた薄黄色の金糸卵、添えられた紅生姜と目に美しいが、その下に存在するであろう飯が具で見えず、しかし丼鉢の大きさから量が多いのは明白な、まさに「地獄盛り」。
その通り、フードファイト開始です。

メニューを「てりどん」、金糸卵のオプションを「きんし」とし、メニューにも「てりどん」か「てりどんきんし」と書かれている。そこに大盛りのオプションを付ければ「地獄盛り」と言うわけだ。
なお、ミニもあるので、腹具合や食う量を勘案し、各々で調整すれば良い。

地獄の様な暑さの夏、じっとりと汗をかいて歩いてきた身に染みていく、濃い味の甘辛ダレが、豚の甘い脂と溶けて口中を侵略する。
ガツンとくる京都のボリューム飯の代表格みたいな存在だ。
京都の飯と言うと、はんなり、薄味、出汁の味というイメージが先行しがちだが、京都通こそ「いやいや」と首を横に振るだろう。
全国に名を轟かせたコッテリの味を看板に据える天下一品は京都発祥、京都ラーメンの主流は鶏ガラ醤油に背脂が付き物で、大衆中華の大看板・王将も京都のど真ん中、四条大宮が一号店だ。
確かに茶の懐石を思えば、そのコースの組み立てを練られた薄くも出汁が立った味は、雑に「薄い味」にされてしまうのかも知れないが、京都はそうした文化の上に、労働者や学生を多く抱える土地でもある。
味の濃いボリューム飯は、こうして街の至る所にしっかりと根付いているのである。

ともすれば辛すぎると言われかねない味付けは、当然にして必然であり、需要があるからこそ「地獄盛り」が存在する。
食い盛りの学生にはたまらないだろうし、汗をたっぷりかいた日には、吸い食いでかっこみたい。そんな丼だ。
脂を纏った肉と白飯に挟まれた金糸卵が、いいクッションを果たしている。冷麺の余った卵を使ったのが最初らしいが、元からそうだったのでは、と思わせる相性の良さだ。無ければならぬ。抜かしてはならぬ。胃の具合に関係なく、てりどんきんし、までは必須である。
無心に空腹を満たす内、ようやく落ち着いて思考が出来る頃にでも「まだだ、もっとくれ」とすら思ってしまう。地獄盛り完食を目の前にして、これだ。
そんな事をすれば、腹がはち切れるのは目に見えているが、これは病みつきになる味だ。

メニューに目を通すと、ホルモンを使った肴に、本格中華顔負けの四川料理と凝った紹興酒があったりして、こうした食いしん坊への需要の他に飲兵衛の需要まで満たしている。
学生から労働者まで、シャッキリ動ける内が華の街中華。京都に来れば一度は食ってみてほしい。

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