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さば煮を食す

飯時を前にして、京都は上賀茂神社、そのすぐ横にある今井食堂と聞いたなら、京都の食いしん坊は直ぐに頭を抱えて叫ぶだろう。

「バカ野郎!さば煮が食いたくなったじゃないか!」

それまで考えていた、和洋中、魚介畜肉、網焼き鉄板鍋串モノといった全ての目論見が吹き飛ぶ。
元来の調理した鯖が持つ、青々とした皮目に灰色かかった白身といったビジュアルが、今井食堂と書かれた暖簾を通り抜けると、青皮がドス黒く煮締まりブ厚い節の中の芯、筋肉繊維の一本一本に渡るまで煮汁の飴色に染まった焦茶色の切り身へと変貌し、我々の前に顕現する。

背と腹の境目と目されるところへ、待ちきれんとばかりに割り箸を突き立てると、切り身の断面から圧に負けた汁が、ぴゅる、と飛び出てカラメルが一層馥郁と辺りに満ちる。
それほどまでに切り身の一つ一つが、とんでもない量の煮汁を抱えているのだ。
口蓋が待ちきれぬ耐えきれぬと唾液腺が弾け水浸しになる中で、待て待てと脳内で唱えつつ、一口分を箸にとり、はぷ、とかぶりつく。

甘辛の至福。

その旨さに不安を覚えるほどの味覚の天国がそこにある。健康を気遣う者が、これはいけませんな、と独り言ちてニヤけが止まらなくなる。
背徳の美味だ。
ほろりと崩れる身に反して力強い鯖の繊維が、噛み締めるほどに煮汁を溢れさせる。噛んでも噛んでも味が消えぬ。
話に聞けば「三日煮込む」とのことだが、本当にそれで足りているのか、怪しくなるぐらいに柔らかく、味が染みているのだ。たまに入っている背骨すら、軽く噛むだけで消えてしまうくらいに。
さばやしゃけの水煮缶の骨を思い浮かべてほしい。あの比ではない柔らかさなのだ。普段ならば入っていたら邪魔だなと思える骨が、今井食堂だと入ってないと寂しいぐらいだ。
当然の如くこんなさば煮の前では白飯が消える。雲か霧かと言うぐらいに吸い込んでしまう。だが慌てる事はない、飯はたっぷりある。いや、一般飲食店からすればたっぷりなのだが、このさば煮の前ではどうだか、怪しいところではある。
初見であれば、小さな切り身がころころと並ぶのを見て「いや飯が多すぎる」と思うのが、秒で「足りぬ」と改心するほどだ。
なにせ、おかずはさば煮だけではない。同じく煮汁をたっぷり含んだ大根に、ソースまみれのチキンカツが2切れ、そして漬物まである。
圧倒的な白飯不足である。

和の純正甘辛味に感動しているところへ、雑なソース味のチキンカツが嬉しい。
箸休めと言えば漬物だが、趣向の違うこのカツもまた旨い。ジャンクさに舌が生き返る。意識が高ぶったグルメな思考を吹き飛ばし、ただひたすらに旨いと唸る生き物であれと我に返らせてくれる。
大根もさばと味つけは同じかと思いきや、大根の持つ汁気によって濃淡がつき、かつ大根の風味がダイレクトに伝わって、これは別なる美味だと思い知らされる。
そして、真の箸休めたる漬物。酸味が効いており、濃い味の波状攻撃に舌がやられそうならば、箸にひとつまみすれば途端に回復してしまう。

隙が無い、今井食堂のさば煮。
試した事がないならば、一度味わってみるといい。

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