当たり前の水準を下げることが幸せへの鍵

以下は音声内容をテキストに要約したものです。

今回は「当たり前の水準を下げることが幸せの鍵」というテーマでお話しします。

前の投稿で感謝をする場面で当たり前の水準を下げることが、自然と感謝の気持ちが出てきて表現できると話しました。

仕事においては当たり前の水準を上げることが推奨されますが、幸せにおいては当たり前の水準を下げた方が良いのでは?と考えています。

これを振り返って、非常に大事だと感じたので、再度、ほぼ同じ内容ですが、少し話をしていきたいと思います。

この話は、幸福度が低く、不幸だと思っている方向けです。

感謝をすることで幸福度が高まりますが、当たり前と思っていることに対して、感謝することはできません。する気も起きないはずです。

例えば、妻がご飯を作ってくれたり、弁当を作ってくれたり、掃除や洗濯をしてくれること。これらは当たり前なのでしょうか?

かつては、昔ながらの価値観で、夫が働き、妻が家事をすることが自然とされていました。

しかし、今では夫がフルタイムで働き、妻がパートで働きながら家事育児を担うケースは多いです。

私の家庭もそうで、家事育児の負担は妻に行きがちです。正直、一時期、妻が行うこれらのことに感謝していない時期がありました。

当たり前だと思っていたからです。

しかし、そうすると不満も溜まります。

妻が、これらを行う義務がないにも関わらず、わざわざ行ってくれていることに対して、感謝するべきだと気づきました。

その後、意識して感謝の言葉を伝えるようにしました。

夫婦間でも、お互いの考えが完全に分かっているわけではなく、言葉を交わさないと伝わらないことが多いです。

むしろ、分かってないことが大半だと思います。

また幸福の逆説という話があります。幸せを求めれば求めるほど幸せになれない、社会的文化的に成熟している国や場所では幸福を感じにくいという現象です。

当たり前の水準が高いと、感謝しないし、不満を抱えやすくなり、幸福度が下がります。

まとめると、当たり前の水準を下げることが幸福の鍵です。

今あること、やってもらっていることを当たり前と思わず、積極的に感謝の言葉を伝えましょう。

横比較(今世界で起きている事象)や縦比較(過去の日本で起きていた事象)をすることで、自分の生活がどれだけ恵まれているかを実感できます。

最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは、良い1日をお過ごしください。

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