横浜福富町 黒服時代②
第三日曜日の給料日の日、ポーラ化粧品の叔母さんがホステスからの注文品を持って来ます。仲良くなったホステスさんは、私に男性用化粧品をたくさん買ってくれました。
ヘアートニックやリキッドなど、一人ではとても使いきりません。今の時代ならメルカリで売っていたかもしれません。
うちの店は5階建てのビルの4階でした。各階には他のクラブが入ってました。開店前に外で一服していると顔馴染みの他のクラブの支配人が給料いくら貰っているのかと、私にいつも聞いてきました。
今で言う引抜きです。「うちはいくらだすからうちに来ない?」と、私は今の待遇に満足してたのでいつも断っていました。
お店には賄いをつくるアジュンマ(韓国語で叔母さん)がいて掃除が終わると夕飯を作ってくれます。初めはどの料理も辛く、辛い物が苦手な私は慣れるまで苦労しましたが慣れると辛い物が癖になっていました。
年末になるとアジュンマはスタッフの皆に白菜キムチをくれました。家に持って帰り冷蔵庫に入れて寝て、朝起きると冷蔵庫のキムチがありません!
母に「キムチ入れといたんだけど知らない?」と尋ねると「あれは辛くて家族誰も食べられないから水で洗ったよ!」と、食卓には白菜の漬物化したものが並んでおりました。
続く
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