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てめえらの血は何色だー!〇〇がないと人間じゃない。悪魔かも。


みなさん、こんにちは。

突然ですが、質問です。



【質問】
あなたは人間ですか?




そもそも人生でこんな質問された事ありますか?


急に聞かれたら思わず聞き返すかもしれません。


なぜこの質問をしたかというと
きっかけは職場の後輩との会話です。



後輩
「私の仲の良い同期が、上司にパワハラされて会社を辞めたいと私にLINEがありました。真面目に働いているのに、無視されたり、大声で怒鳴られたりされていて。

その様子は部署が違うのでわからないのですが、話を聞くと限りとても酷いことをされています。

私も辛くて悲しいし、容認できないパワハラなので、本人に代わって私が改善要求を本部長と人事に話をしました。
もし改善されないようならその同期と一緒に辞めます。と言いました。」

後輩


つまり、パワハラ被害を受けてる同期に代わって会社に改善要求の申し出をしたとのこと。そして改善されない場合は私も辞める。


正直私にはできない事で、その行動力と考えに関心をしました。


その話を聞いて
ふとこの言葉を思い出しました。

孟子の言葉である【不忍人之心】


有名なので、ご存知の方もいらっしゃると思います。
内容はこんな感じです。


不忍人之心
(人に忍びざるの心)



孟子曰、人皆有不忍人之心。

→孟子はこのように言います。
「人間は誰でも皆、人の不幸を見過ごせない心をもっている。」


所以謂人皆有不忍人之心者、今人乍見孺子将入於井、皆有怵惕惻隠之心。


→人は誰でも、人の不幸を見過ごせない心を持っている理由としては。
もし、子どもが今にも井戸に落ちようとしているのを見たならば、みなドキッと驚きすぐに助けようとする気持ちが起こるからである。
同時にその子が落ちてしまうことに関して、痛切に悲しむ気持ちがあらわれるからである。


非所以内交於孺子之父母也。

→その行動は、子どもを助けたことをきっかけに、その両親と親しくなるためではない。


非所以要誉於郷党朋友也。

→さらに子どもを助けたという名誉を人々や友人に求める気持ちのためでもない。

非悪其声而然也。

→子どもを助けなかったという悪評を嫌がってそのようにしたのでもない。


由是観之、無惻隠之心、非人也。

これらの事から考えてみると、痛切に悲しむ心のない者は、人間ではない。


そのほかにも孟子はこの様に述べています。

惻隠・羞悪・辞譲・是非 
この四つの概念を【四端】といい。
これは、人間に両手両足があるのと同様に備わっている。
この四端が備わっていないのは人間ではない。とのこと。



四端とは
①惻隠
→痛切に悲しむ心

②羞悪
→不正を恥じ憎む心

③辞譲
→人に譲る心

④是非
→善悪を判断する心


つまり、


四端がある後輩は人間。


見て見ぬふりをしてしまう私は人間ではなく悪魔。人の皮を被った悪魔と認定され、


北斗の拳のレイが近くにいたら
「てめぇらの血は何色だー!」と言われて成敗されてしまうかもしれません。


あなたは人間ですか?
あなたの血は何色ですか?


ご覧いただきありがとうございました。




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