見出し画像

和蘭紀行2022

旅の始まりの朝はいつも慌ただしい。限られたお金と時間を活用するために早朝から計画を立てるのでどうしても早起きをしなければならない。これは貧乏な一人旅をする者の宿命である。そして今回も例に漏れず、目が覚めてスマートフォンの時計を見た時には5:42だったのだが、前日の夜の予定では6:00には家を出発する算段であった。ろくに朝食も食べられずに10分遅れでメトロの乗り込むも人気のない週末の早朝だったおかげで遅延することなく駅に着き、そこから走ってバス乗り場へと向かった。まだ夜明け前の薄暗いパリの景色を横目に息を切らしているのはオーストリア人の親友と日帰りでブリュッセルを観光したあの時と何ら変わっていなかった。それでバスには間に合ったのだが、まだテスト期間前なので電子辞書を片手にバスの車内で何百ページもある図書を読みながら、今回の旅で最初に向かうのは同い年で顔も似ていると日本代表の試合中継があるとよく人に言われた堂安律選手が所属するオランダの名門チームPSVの本拠地Eindhovenである。

Eindhoven

パリからブリュッセルとアントワープを経由したバスがこの最終の目的地に到着するのが遅れたこと、それに次の目的地のランドマークであるタワーに上るのにツアーに参加する必要があってその時間が迫っていたこともあってこの街ではスタジアムに行くくらいの時間しかできなかった。しかしながらスタジアムに併設されたオフィシャルストアに行くことこそが唯一の目的であったので無駄な時間を持て余さずに済んだとも言える。最後まで堂安律の名前と番号入りのユニフォームを買うか悩んだが、先日の国内のカップ戦の決勝戦で宿敵Ajaxを見事に倒して優勝したことを記念したT-shirtをお土産に買うことにした。色が真っ赤で書かれているメッセージがオランダ語なのがカッコいいので今年の夏に着てみたいと思う。

Philips Stadion

Utrecht

この街の美しさには本当に感動している。なぜなら、正直に言ってそもそも何かを期待してこの街に訪れたというわけではなかったからだ。というのもオランダでは特に観光客が集中する首都にでも行かないと安宿が見つからず宿泊の計画を決めあぐねていたところに、街の中心から離れているはものの良心的な価格かつ自然に囲まれたホステルの魅力的な写真を見たことで急遽この街を今回の旅路に組み込むにしたという経緯があったからだ。

View from the top of Dom Tower

電車で到着してまずは駅から前述のタワーに向かい、その頂上から街並みを一望することができた。空もよく晴れていて見通しが良く、眼下には運河の両岸にぎっしりと並べられたレストランのテラス席や適当に石絨毯に場所を見つけて座って楽しそうに話す人々の賑わいが伝わってきた。そのタワーの見学後は遅い昼食を済ませてからタワーの上から見下ろしていた運河沿いを実際に探索したのだが、これが本当に感動的だった。運河のすぐ目の前には洗練された低い屋根の家が見事に立ち並んでいて、このレンガ造りの建物と運河、それから樹木や観葉植物の自然が絶妙な調和を見せている。この街の美しさについて考察して思ったのはやはり調和の妙である。街の中心地では観光客で活気があるのに、細い道を一本入っただけで完全な静けさを纏った住民たちの生活空間が立ち現れるのだ。建物の高さも多くは二階建てであり圧迫感を感じさせない。常に青い空が開けており自然が共存している。よく他の都市でも従来の緑地を保存したり新たに創り出してはいるが、それらがいかに人工的で浅はかなものかということを考えさせられる。都市が発展しやがてジェントリフィケーションにより郊外に広がってゆく閑静な住宅街がそんな手続きを経ずに元から街の中心に存在している。この街に住むことを考えるだけで楽しいのだ。ヨーロッパに来てからというもの、合間を縫って随分と多くの国と都市を訪れたが、昨年にリスボンを訪れて以来久しぶりに街とそこに暮らす人々に嫉妬というものを感じた。

Utrecht

シーズンではないのか、予約していた例のホステルの部屋はすっからかんで安宿には珍しくその日は静かな一夜を過ごすことができた。翌朝はその宿の唯一のルームメイトであったイギリス人と朝食のビュッフェを頂いたのだが入口の前に設置された朝日のよく当たる席で見渡す限り自然に囲まれながら過ごしたそのひと時はとても気持ちが良かった。ドイツで博士課程だという彼とお互いの故郷やら音楽の趣味なんかの雑談をしながらバスで中央駅まで戻り、そこで別れた。その束の間のお供が去っていく後ろ姿を確認してから切符を買って次なる目的地へと向かう電車に乗り込んだ。

Stayokay Hostel Utrecht - Bunnik

Leiden

電車の窓から見えるオランダの田園風景にすっかり見惚れていた。至る所に川が流れており、それに面するように住民が各々の趣向を凝らした庭という作品を築き上げている。なんと豊かな文化だろうと独りでにひたすら感銘を受けていた。
さて、大学都市として有名なこの街にはやって来たのはある日本人の友人に会うためであった。正確に言うと日本の学部時代に知り合った先輩なのだがヨーロッパの各地でもう何回も会っているうちに日本語で会話をしながらもお互いの年齢が必ずしも上下関係に結び付かない海外の友達に近い関係性になったという感覚がある。彼との会話も例によってちょっとした恋沙汰からオランダの住宅事情やフランスの大統領選の話まで、際限なくシームレスに話題をとっかえひっかえしていた。
彼のお気に入りだという小さな橋にある二人席に着き昼間から麦酒を注文し写真撮影もそこそこに談笑する。それだけで最高の週末だ。場所を移動してフライドポテトをつまみながらその日の午後の予定を考えていると、近くにロマンチックな街があるということだったので当初の計画を後日に変更して一緒に遊びに行くことになった。

Leiden

Haarlem

この街はハーレムと読むらしくなるほどそれでロマンチックというわけだと話していた。ただし俗に言うハーレムとは実際にはアラビア語の由来らしくこのオランダの街には関係はないのではあるが。
前の街から電車で着いから駅前で自転車をレンタルし街に繰り出した。特に行く当てもなく自転車を漕ぐのはこれはまた気分が良かった。道中で適当に座った川辺のベンチの反対側にはボートの収納庫が見えたので、その風景が大学のボート大会で昔行った戸田の競艇場みたいだと言うと彼もまた笑って頷いていた。このベンチでも飽きることなく長話をしていた。

Haarlem

Amsterdam

レンタル自転車で一通りサイクリングを終えてから再び移動し、夕方以降はこの大都市で過ごすことになった。一大観光地ということもあってモダンでヘンテコな建築物があったり飾り窓地区や"Coffee shop"が軒を連ねる通りがあったりして、それまでの自然がありゆとりがある他の街とは明らかに違う印象を到着したその日からすぐに感じた。
中心街をしばらく散策するうちにお腹も空いてきたのでお店を探しているとアルゼンチンステーキのレストランをやけによく見かけた。せっかくなのでそのうちの一つに入店し、赤ワインと一緒に美味しくいただいた。その後も夜の街を小一時間くらい徘徊したのだが、繁華街から中央駅まで戻ってきてその反対側まで行き、そこからホステルのある川の向こう岸に渡るところでお別れとなった。
私は修士論文のためにもうじき帰国するのに対して彼の人生はまだしばらくヨーロッパにあるらしく次はいつ会えるかわからない。当時はそんなことを考える暇もなく渡し船の乗り場に着いた。簡単な別れの挨拶をしてその船に乗り込む。私はその時に「何万歩より距離のある一歩」を踏み込んだのだとふと気付いた。すぐに警報音が鳴り通行路が閉まると船はゆっくり動き出し視界に彼を捉えたまま岸から離れていった。大袈裟に言えば、それはまるで昔に何かの映画で見たことのある、主人公が生まれ育った島から船で都会に出ていく際の出航の一場面のように感じられた。ある程度の距離を遠のくと中央駅の屋根全体を見渡すことができ、そこには"AMSTERDAM"との文字が書かれている。「そうだとも。自分はアムステルダムにいるのだ」と不意に実感を湧かせるような光景であった。

Amsterdam Centraal

その翌日はいくつかの災難に見舞われた。まず前日と打って変わって雨天と天気が悪かったのと、この街有数の観光名所であるアンネ・フランクの家とゴッホ美術館は共に事前予約制なのだがかなり人気のため数日先まで予約が埋まっており、これらの訪問はお預けとなったのだ。国立美術館はと言うと当日でも入場時間が指定された午後のチケットを購入することができたのでその時間まではアート街を散策した。その後に一目見ておこうと立ち寄ったアンネ・フランク像の横にある教会で同世代のインド人と出会った。彼女もフランスから来たということで話が弾み、それからピーをしたいというのも一緒だったのでデパートに向かった。その道中では彼女がフランスの大学で英語教師をしているということ、また地中海沿岸のペルピニャンという街に住んでいて被人種差別の経験したということを告白してくれた。その地域の右傾化が顕著だということも記憶の片隅から引っ張り出してきて話をしたりペルピニャンと聞いて知り合いを思い出したりした。

それから訪問した美術館にはとても満足した。規模はやや大きかったもののかと言ってルーブル美術館や大英博物館の比でもなく、閉館時間まで存分に作品を見て回った。やはり注目はレンブラントの『夜警』などの有名作品のコレクションであるが、それ以外にも気に入った作品はいくつか見つけたしそれに作品が年代別に整理されていてとても鑑賞しやすかった。久しぶりにポストカードを買って美術館を出た。まだ暗くなる時間ではなかったのだが寒かったのと前日までの疲れが溜まっていたのでその日は早めに宿に戻って翌日の最終日に備えることにした。

Rijksmuseum

Lisse / Keukenhof

早くも最終日となったこの日は午後にアムステルダムから格安バスでパリに戻ることになっており、朝早起きして午前中はチューリップ園として有名なキューケンホフ公園に向かった。春の開花シーズンのみ開園するこの公園のちょうどチューリップも満開になる頃とあり、開園して間もない時間帯でも観光客でごった返していた。この日は天気も回復して晴天だったのも幸運で時間の許す限り園内をたっぷり散策することができた。観光客を意識してかその園内には風車が設置されておりチューリップの奥にそれが見えるように撮影した写真は今回の旅のハイライトとなった。私と同じようにバカンスで旅行中だったフランス人のムッシューは快く私の写真を撮ってくれたのだが彼は東京マラソンのために二度も日本に来たことがあるという。彼に限らずヨーロッパ諸国民の中でも特にフランス人は日本に対する興味が高いことを改めて実感した。これはフランスにいる時だけでなく今回のように旅行中の別の国でも何度か体験したことである。

Keukenhof

その美しさ故についつい長居したくなってしまうが、バスの時間もあるので見切りをつけてその公園を後にした。どうやら私は出発の時間に間に合うかどうかのハラハラドキドキの体験をいつもしないといけないらしく、今回も例によってその公園を出発したバスがメトロ駅に到着するのが遅れたためにメトロの交通網も把握していない状況でパリ行きの長距離バスが待つ駅まで急いで向かわなければならなかった。さらにオランダでは最後までスマホの電波が悪く経路やバス停の位置もインターネットで調べられないまま何とかするしかなかった。結局は何とかなったのだが、こればっかりはこれまでに培ってきた旅の経験則と運に感謝しなければならない。出発時刻ちょうどにバス停に着いた時はまだ乗客らも乗車できていなかったからよかったものの予定時刻ぴったりにバスが出発することもあるので気をつけたい。昨夏にはスペインのサンセバスチャンからフランスに戻るのに地下にあったバス停が見つけられず予約していた便を逃したことがあったことを思い出す。今回も例に漏れず最初から最後まで時間に気を揉んだ旅であった。

Keukenhof

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?