見出し画像

大学生のガーナ紀行(vol.2)

ご覧いただきありがとうございます。大学生のRINZOです。

前回の記事に引き続き、今回は参加したプロジェクトについて、また現地で実際に行った活動やそれまでの経緯を中心に振り返っていきたいます。

一、どんなプロジェクトなのか

さて、前回は学生団体AIESECが提供するガーナでのプロジェクトに参加することに決めたわけですが、まずはどんなプロジェクトなのか、簡単にご紹介したいと思います。

ガーナでは現地NGOの協力で田舎にある農村に受け入れてもらい、そこでは教育・農業・健康衛生のいずれかの分野にフォーカスした活動を行います。まずは現地の生活環境に適応しながらコミュニティーに溶け込み、自ら足を動かして現地の状況を肌で感じ、現地に潜在する問題を模索します。徐々に問題解決のためのプロジェクトを形にしていき、試行錯誤を繰り返しながらプロジェクトの完成を目指します。

画像1

写真の彼は現地NGOの代表者です。食事毎に大量の激辛料理を完食するまで食べさせられた辛い記憶しかないですが、プロジェクト期間中の羽伸ばしに近くの山や湖へと共に旅に出かけたことは良き思い出です。

二、どんな準備をしたのか

画像6

プロジェクトに参加すると決まれば、次は実際に現地の農村でどんなことをするのか考える段階に入りました。親切なことに、僕が参加したAIESECでは担当の学生が専属のマネージャーとして二人三脚でプロジェクト終了後まで並走してくれます。今の自分と将来の自分について考え、このプログラムにおける目標についても考えるわけですが、現地のことについて何も知らない私は現地で活動するにも何をすべきなのか見当もつかない状態で、そもそもアフリカに行ってみたいというシンプルな動機で飛び込んだプロジェクトで何をもって成果とするのか、かなり行き詰まりました。ただ、過去に現地で活動をしたことのある経験者から話を聞くところによると、大人も子どももサッカーを楽しんでいる一方で、定期的にプレーされているわけではなく、きちんとした知識があるようでもないということでした。実は私はかなりのサッカー好きで、高校はサッカー部で、大学でもフットサル部だったこともあり、サッカーに関して何かできないだろうかと考え、とりあえずは現地でクラブを作ることで制度を整えることにより、大人も子どもも平等に楽しくサッカーができるのではないかという仮説を立てました。といった感じで、今振り返ったらあまりにざっくりとした仮説とも言えない仮説を引っ提げていよいよ目的地であるガーナへと出発したのでした。

三、どんな問題があったのか

長すぎるフライト(実に24時間以上!)と茹だるような暑さに疲弊しつつもヒロト少年は遂にガーナの首都アクラに到着しました。まずは現地のAIESECメンバーに迎えてもらい、首都にしばらく滞在したのち、これまた長いこと何時間もかけて、オフロードに揺られながら今回の活動の舞台となる農村に到着し、そこからおよそ6週間に及ぶ農村での生活を始めました。

画像6

そこでは聞いていた話の通りにサッカーが人気で、すぐにサッカーボールを用意し、少年たちを集めてサッカーをしました。やはりスポーツの力というものは侮れず、少し一緒にサッカーをしただけですぐに意気投合することができました。しばらくして村の住民たちとも親密になり、毎日井戸から水を汲んで生活するような農村での暮らしにも少しずつ順応してくると、現地の生活からいくつか問題点が見えてくるようになり、その中でも私が特に強く感じたのは子どもたちの教育と娯楽の欠陥でした。現地には学校の建物こそあるものの、その中身である教育制度は十分には整っておらず、名ばかりで特に資格のない教師たちによる初歩的な計算や公用語である英語などの基礎教育に留まっており、また休み時間がとにかく長いというのが実態でした。子どもたちの生活と言えば主に学校かちょっとした家の手伝いという二択で完結しており、日常生活において娯楽があまり存在していないようでした。それはあらゆる娯楽で溢れている日本の環境とは全く異なり、そんな環境で育った私と彼らでは日々の生活に見出される価値観も全然違うということも承知の上でしたが、彼らが健やかに育つためにはやはり娯楽は必要であると考えました。このように、教育の分野で心の健康にも配慮して活動しようと考えると、教育的側面を持ち、さらに心身ともに健康を増進するスポーツが最適解だと考えられ、好きなサッカー選手を嬉しそうに語る子どもたちとの会話からも彼らのサッカー好きを確信したため、当初の予定通りサッカーを軸に活動することにしました。

四、どんな活動を行ったのか

画像6

まず最初に子どもたちに自由にサッカーをさせてみたところ、フィールドの範囲を定めるサイドやゴールのラインがないために遠くまで際限なくプレーしていたり、ゴールを用意するにも石を置いて作っただけなので幅が極端に狭く高さもないためゴールの機会がほとんどないという状況でした。そこでラインの可視化はできなかったものの範囲を設定し、その範囲を超える度にプレーを中断するようにしたり、また石の代わりに木や竹を立て幅を広げることでゴールの高さや幅を改善したりして、それまではただボールを蹴って追いかけっこをしていたところを、最低限サッカーをするための前提条件を整えるように意識しました。結果として以前よりも格段にゴールする機会が見られましたし、その度に子どもたちが輝かしい目で喜んでいた時の様子は印象的で、今でも鮮明に覚えています。

画像7

それからしばらくは自分も子どもたちに混ざってサッカーをして仲を深めていましたが、試合形式になると相手のチームの選手を叩いたり蹴ったりなど暴力をしてしまうことが明らかになってきたので、自分は審判としてそこに参加していた方が当初の教育という目的にも適っていてよいと判断し、それ以降は子どもたちのプレーからいかに暴力をなくすかということに注力することにしました。ですからスポーツを通じてざっくりと子どもたちの教育に貢献しようということではなく、サッカーのルールを遵守してもらうことで規範意識を育む、フェアープレーで相手を尊重する精神を身につけてもらうということを具体的な目標として設定することにしました。

画像7

というわけで、まずは審判として子どもたちのプレー中の喧嘩や暴力行為があった場合にはプレーを中断し、当事者を呼んで注意したり退場を意味するレッドカードを出して帰らせたりするなど、かなり厳しく対応をすることで規律を重んじる姿勢を示しました。また、試合中の手を出してしまうことを未然に防ぐという目的も含め、試合前に両チームの子どもたちを整列させて競技を始めるにあたり相手チームが必要な存在だということを説明したり、実際の試合のように相手チームの選手と一人ひとり握手させたりすることで子どもたちにフェアプレーの精神を学んでもらう工夫をしました。はじめは何枚もレッドカードを出して退場者が続出してしまうような状況でしたが、日数を数えるにつれて次第に暴力行為は見られなくなり、レッドカードなど警告の回数をかなり減らすことができたのは一定の成果だったと言えるかもしれません。

画像7

簡単ではありますが、以上が実際にガーナの農村で行った取り組みのご紹介でした。他にも、青年や成人を誘ってゴリゴリにサッカーをしたり、隣村のチームと村対抗の親善試合をして激しい点の取り合いの末に勝利(5-4)できたことなど、楽しい思い出はたくさんありました。次回は、心に刻まれているそうした美しい記憶だけでなく、現地での暮らしや活動から気づいたことについて、エピソードと共に振り返っていきたいと思います。

それでは、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?