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大学生のガーナ紀行(vol.3)

ご覧いただきありがとうございます。大学生のRINZOです。

さて、今回の記事では農村での暮らしやサッカーの活動から気づいたことをそれぞれ振り返っていきたいと思います。

一、暮らしのなかで気づいたこと

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まず気づいたのは、私たちが何気なく使っているプラスチックが地球環境に確実に深刻な悪影響を及ぼしているということです。現地に到着してすぐにわかったことですが、農村では大量のプラスチックが適切に処理されることなく写真のように山積みになっていたり、道のあちらこちらに落ちていたりしました。それは明らかに現地で最も深刻な問題であったのにも関わらず、実際にその問題を解決しようとなると、普段使用しているプラスチックとはどういうものなのかということについて現地の人々を教育するところから、どういう流通経路で処理するのか、そのために彼らにはどういう生活習慣を身につけてもらうことが求められるのかなど、考えなければならないことは多く、短期間では到底解決できない問題であることは明らかでした。しかしプラスチックが自然環境に与える負荷は国際的な問題だというのは皆さんもご存じの通りで、日本に帰ってきてからも普段の生活でそのことを意識することはできると考えています。例えば、コンビニで買い物する際にレジ袋やコーヒーのフタ部分を使用しないようにするなど、エコロジー意識によって身近な行動を変えることもできるのです。

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また今回お世話になったような貧しい農村では仕事は少なく、女性の場合はほとんどが写真のように粘土でお皿を作って生計を立てています。同じものばかりつくって売る「モノカルチャー経済」の縮図がそこには成立していたというわけです。西洋的な開拓者としての立場から、農村の経済的な発展を促すのか、それとも現地の人々の価値観を尊重して外部から手を出すということはあまりせず、そのままにしておくのか。これはそれぞれの立場により意見も利害関係も異なるため、複雑な問題だと言えるでしょう。

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さらに、上記の話題に関連して、私が暮らしていた農村は確かに経済的には貧しかったのですが、それは必ずしも生活が豊かではないとは限りません。彼らは彼らなりの価値観を育み、人と人との交流を大切にして楽しい生活を送っていました。技術を発展させ経済的に豊かになった一方で格差が拡大し孤独に苦しむ先進国の人々は、本当の意味で幸せだと言えるのでしょうか。自分が何に人生の価値を見出し、何をもって幸せとするのか、それはカネやモノが支配的な今日の世界に生きる私たちが考えなければならない命題だと思うのです。

二、サッカーの活動から気づいたこと

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また、自分が届けたい価値観を人に伝えるためには、信頼関係を築くことが前提として非常に重要だ、という気づきがありました。前回の投稿で詳しくご紹介したサッカーの活動では、その目標として、子どもたちにサッカーのルールを遵守してもらうことで規範意識を育むこと、またフェアープレーで相手を尊重する精神を身につけてもらうことを掲げていました。言うは易く行うは難し、とはよく言いますが、実際にそれは難しいことでした。例えば暴力行為をしてしまった子どもはレッドカードを出して帰ってもらうということをしたと紹介しましたが、これは強制的に退場させられた子どもたちの反発を招き、亀裂を生んでしまったのです。ただ、客観的な視点から冷静に考えればそれは単純な話で、ある日突然、髪の毛や肌の色が異なる謎の男が自分たちの村に勝手にやってきてサッカーをしようと言い出し、審判として偉そうに邪魔をしてくるとなれば、そいつを嫌いになるのは明らかでした。そこで問題だったのは前提条件として子どもたちと十分な信頼関係を築けていなかったことだと考えたので、まずは特に口出しをせず一緒にサッカーをすることで仲を深めることを意識しました。このちょっとした改善は思ったより効果があり、その後は言うことを聞いてくれるようになりました。次に仲良くなった彼らに目標として掲げていた規範意識やフェアプレーの精神を身につけてもらうため、とにかく理解してくれるまで毎日何度も同じことを言い聞かせて実際に行動に移してもらうようにしました。こうして粘り強く自分の届けたい価値観を訴えかけ続けたことで、最終的に彼らはそれを受け取ってくれたのだと思います。

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最後に、最も印象に残っているエピソードをご紹介します。それは現地での活動の終わりが近づいてきたある日のことでした。私はそれまでと同じ通り夕方の時間帯からサッカーを始めようと身支度をしていたところ、何人かの青年たちが早く練習をしようと、私の滞在先の家を訪ねてきてくれました。しかし、家を出た直後ににわか雨に遭ってしまったので、雨宿りをしようと一緒にいたその青年たちは彼らの仕事場かつ溜まり場へと私を連れていってくれたのですが、そこで集まっていた青年たちは、それまでの私の呼び方であった「オブロニ(白人、の意)」や「チャイナ」ではなく、きちんと私の名前(村では「クエク」)を呼び、笑顔で歓迎してくれました。そこで私は彼らと談笑しながら、しばらくその農村で共に暮らしていたことでようやく本当の意味で彼らのコミュニティに入り込むことができた瞬間を身に染みて感じることができ、とても嬉しかったです。現地でサッカーの活動をするにあたり、それがコミュニティ内の交流を盛り上げられたらよいと想像してはいましたが、実は私自身がその恩恵に与っていたことに気づかされました。サッカーないしはスポーツが持つ力、つまり人と人の交流を生み出しそして促進する力を身をもって感じることができたのでした。

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以上が、現地での暮らしや活動から得たいくつかの気づきのご紹介でした。さて、最終回となる次回は、実はモヤモヤした気持ちが残るこのガーナでの記憶を整理しながら、反省していること、また最後に今回の経験から学んだことについて、すでに一年が経過している現在の眼差しから考えてみたいと思います。

それでは、また。

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