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だって経済大失政だから~中国で文化大革命の再来に怯える人たちがいる理由

20231101  newleader

故曰仁者無敵、王請勿疑

 「たった百里四方の小国の君主でさえも、天下の王者となることができます。王様がもし仁政を行なって、刑罰を軽くし、税金の取り立てを少なくし、田地を深く耕して草取りも早めにさせ、若者には農事のひまひまに孝悌忠信の徳を教え込み、家庭ではよく父兄につかえ、社会ではよく目上につかえるようにさせたならば、一旦ことあるときにはただの棍棒だけでも、堅固な甲冑・鋭利な武器で身を固めた秦や楚の精鋭をもうちひしぐことができましょう。ところが、彼らは全く正反対で、時を構わず人民をこき使い、農耕に精をだして父母を養うこともできぬようにさせています。父母は飢え凍え、妻子兄弟はちりぢりばらばらです。いわば、彼らは人民を穴に突きおとし、水につけて溺れさすような虐政をつづけているのです。このとき王様がご征伐にゆかれたら、なんびととて手向かうものがありましょうや。諺にある『仁者に敵なし』とは、つまりこのことをいったものです。王様、どうか私の申すことをお疑いなさいますな」(孟子「梁恵王章句」小林勝人訳)。

 いかにも性善説に立つ孟子らしい言葉。古典を読むことの愉しみのひとつに、このような聖賢の言葉に出会うことがあります。特に中国の古典は、人間社会や政治に対する深い洞察に満ちあふれています。

 とはいえ、かの大陸は、孟子の「仁治」とは正反対の「万人の万人に対する闘争」のショーケースのような地であり続けています。古典古代の聖賢の言葉とは真逆の権力のあり方が、勝利の方程式であることを示し続けた、というのが現実の中国の歴史です。

 そしてまた、彼の国で、新たな闘争の季節が訪れそうな気配です。

文革経験者たちのおののき

 最近、彼の地から不気味な情報が立て続けに入ってきています。9月の下旬に習近平主席が、文革時代の民間の相互監視・密告文化を奨励する講演を行ったとの話。また、国有企業、大学等で「人民武装部」という民兵組織の立ち上げが急ピッチで進んでいます。

 これだけなら、彼の国の慣習として「そういうこともあるのか」で済んでしまうかもしれません。しかし、このことを私に教えてくれたのが、石平氏や柯隆氏といった、中国本土生まれで日本在住の評論家たちで、いずれも1960年代初頭生まれ、年少期に文化大革命を体験しています。その彼らがこれらの動きを「内乱への備え」であり「文革への急速な回帰」と警鐘を鳴らしているのです。経験がある者ゆえの肌感覚は常に傾聴に値すると考えるべきです。

 それではなぜ、文革並みの内部闘争への備えが始まっているのでしょうか。

 一つには、前回のこの項でも取り上げましたが、中国は不動産開発バブルがいよいよ崩壊過程に入ってきたことがありそうです。日本でも経験があるのでよくおわかりと思いますが、バブルの決着はハードランディングしかありません。エコノミストの柯隆氏によると、すでに失業が増大しているのに、その上、この経済崩壊の行き着く先は地方政府が管轄する社会保障システムの破綻で、そうなれば、ただでさえ貧富格差が極端な中国が、社会的な混乱状態になるのは目に見えています。

 経済的な失政、これは中国では政治的に不吉の前兆です。前例があるからです。1958年から61年にかけて毛沢東主席が、農産物と鉄鋼製品の増産運動「大躍進政策」を強行しました。生産力の向上によって短期間で西側に、特に軍事面で追いつこうというものです。が、イデオロギー先行の非科学的な政策で、当時6億強の人口の中国で3800万人の餓死者(ユン・チアン「マオ」)を出す始末。61年に副主席の劉少奇が先頭に立って批判し、やっと方向転換。

 しかし、毛沢東にとっては状況が何であれこれは自分への「造反」であり、5年の雌伏を経て報復に出ます。どこの国でも常に大衆扇動のカモとなる、中等学校、大学の学生を紅衛兵として動員し、暴力の愉悦で扇動し、社会的ヒステリーの中、政敵を共産党の幹部全体ごと粛清します。

 大抵の人間の組織では、トップが政策を失敗したら、そのトップ自身が失脚します。しかし中国では、トップが経済で大失敗したら、周囲の権力者や人民の多数がパージされます。その前例が文革です。

 習近平政権で更に不気味なのは、特に今年に入ってから、現職の外交部長、国防部長に、前職の国防部長が突如、失踪。腐敗追及で当局の取り調べを受けているという情報が流れ、解任が発表されていることです。ロケット軍のトップ2人も突如解任。彼らはいずれも直近に習近平主席に任命されたものばかり。外交・軍事関係者への責任転嫁、粛清は、いずこの国でも政治闘争の前段を意味します。

 「人民を穴に突きおとし、水につけて溺れさすような虐政」を行っているという自覚がある故でしょうか。仁政をもってする代わりに棍棒で打ちかかる。経験者たちが、今を文革の前段階であると感じるのは、中国の非・孟子的伝統を骨身にしみて知っているからなのかもしれません。

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