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コラム

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随筆・散文・呟きなど
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私は、萬画家である。

漫画を『萬画』にする。 石ノ森章太郎が、提唱した概念である。 彼は文学者になりたかったが、漫画家になった。 石ノ森の『Jun』を手塚治虫は、否定した。 そのあと漫画の神様は、彼の前で土下座した。 結局、芸術を理解できなかったから、嫉妬したのだろう。 悲しいかな、このあと、石ノ森は、芸術漫画を描くことはなかった‥‥。 石ノ森の感性は、芸術である。 芸術家の導き出した答えは、漫画という概念を超えるということ。 五百年経っても、真なら、それは文学でいうところの古典である。

『純文学の先に‥』

病弱な喘息持ちの少年は、家にこもって、絵を描くことと、本を読むことが好きだった。 永くは生きられないと思っていた。 彼の父親は大の手塚ファンで、生まれてくる子供のために手塚漫画を全て揃えて、待っていた。 自然に、その生まれた子供は、手塚治虫が好きになり、漫画ばかり描いていた。 本の虫であった子供は、文学も読むようになった。 第六感官の弦が、震えた。 純文学の愛読者になった少年は、まもなく小説を書きはじめた。彼は青年になって、権威ある同人誌で作品を発表した。 青年ははじめて

創作家としての第一歩

アナログで描いていた頃、原稿用紙を持って、九州から東京まで持ち込みをしていました。 何社か担当もつきましたが、プロになることはエンタメに媚びることだと勝手に思いました。描きたいことを描けない世界。漫画はうんざりだと思いました。 1年前から友人のすすめでデジタルを試みました。手も汚れず、描きやすいし、楽しい❣️✨ とりあえずイラストを描いて、SNSでupし出しました❣️ 幸運にも、みなさんが『マンモス先生』をかわいいと言ってくれたので調子に乗って、また漫画を描きだしました。これ

【随筆】『少年の握りしめた夢』

仕事終わりの夕刻、スーパーのレジに並んでいると、私の隣で分厚い雑誌を不器用に抱えている、丸坊主の小学三年生くらいの男の子が立っていた。 私のレジの番になって、彼はようやくその雑誌をレジのテーブルに置くことができたようだ。子供の頃よく見た某コミック。 彼はその表紙をずっと見つめている。 彼の握りしめた右手に気づいた。 私の会計がはじまった頃合いに、彼はその右拳の中を数えはじめた。 10円玉の茶が多く目立つ、100円玉もあるか……。 たしかなことは、彼はこれを買うためにお金を貯め

生きるために

生きるために描き、描くために生きる。 絵だけで生活したいなんて、恐れ多い。 だけれど、ずっと絵を描いて生きていたい。 ギリヤーク尼ヶ崎さんみたいに、街頭に出て、舞い踊る勇気なんて、私にはこれっぽちもない。 勇気のない私に、何ができるだろう。 ただそこに美があって、それを描きたい。 大事なことはいつでも、目には見えない。 人には見えない、手に取ることも難しい美そのものを、 人に分かりやすく面白く表現できたなら、もしかすると、 無関心な人にも伝わるかもしれない。 世