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そういうことだったのか【100日間エッセイチャレンジ】

人間、歳を重ねるのは必ずしも悪いことばかりではないと思っている。

それは、少し前の記事にも書いた通りだ。

私の場合はとりわけそのように感じることがめっきり多くなった。
ただ、不思議なことに、タイトル通り「そういうことだったのか!」と、頭の中で電球が点いたかのような強烈な反応をしたこともあれば、随分後になってから、そういえば、いつのまにかこうだったな…としみじみ思い返されることもある。
「そういうことだったのか」という、最もらしい台詞を使うこともないまま、気付かされたということも実際、少なくないのだ。

人間の脳はおおよそ気まぐれとも言われているから、この現象に関して何か法則を求めたところで、どうしようもないのであろう。

あまりにもありふれた話となってしまうが、さまざまな理由から、自分が同じ立場になってみて、初めて気がつくこともたくさんある。
その最たる例は、親になって初めて、親の気持ちが分かった、ということであろうか。

細かい事情は触れないでおくが、自分自身の存在がある限り、私たちは誰かによって生み出された、(奇跡の)産物である、という事実は、誰にとっても変わりない事象である。

さらにいうと、親になるまで、自分は生まれて来た「子ども」の側でしかなかった。
だが、ひとたび子どもを持つ側になると、生み出された子どもの立場と、生み出した親の立場の双方を経験することになる。

子育ては、自分自身の子ども時代の追体験のようなものだ、と称する人たちもいるが、あながち間違いではないどう思う。
子育てに悩んだら、子ども時代の自分に聞いてみるべし、というアドバイスも決してまやかしではなさそうだ。

私自身、親になってから余計に、子ども時代の私に伝えたいこと、話しておきたいことがたくさんできた。
それは、きっと無駄なことではないはずだ。
折を見て、子ども達に良い形で伝えていけたらと思っている。

子育てに関連して言うと、「そういうことだったのか」を会得しておいていちばん良かった、と今まさに感じているのが、「自動車免許を取得できたこと」かもしれない。
否、私の場合はただ単に免許の取得に至ったばかりではなく、その後一定の経験を経て、きちんと車を動かせる状態になれた、ということに尽きる。
免許取得とその後の話はある種壮絶だったので、また改めて別の機会でできたらなと思う。

世間一般の方々が難なくできるようなことにひどく苦労し、逆に、難しいとされることが簡単にできたりするのが、私のおかしな特徴でもあるのだが、今回もその特徴が如実に現れたようである。

それで言うなら、「料理」も無言の「そういうこと」現象に当てはまるかもしれない。

以前に書いた通り、
私は料理があまり苦にならない人間である。
だが、興味や憧れこそ強かったものの、思うように上達する兆しはなかなか見えなかった。
高校時代、家庭科の教科書とともに、一般的な家庭料理レシピ集が配られた。
当時の教師曰く、
「高校生が是非作れるようになっておきたいレベルの料理」
とのことだったが、今思っても、あのレシピ集の料理を難なく作れる(普通科の)高校生がいれば、その時点で主婦レベルを遥かに超えたスーパー高校生と呼んで差し支えあるまい。実際、そのレシピ集は高校を卒業しても処分せず、進学時に持って行くと良いと勧められていたほどである。

私も例に漏れず、レシピを持って行ったものの、結局一度もまともに使えずに終わった記憶しかない。
そもそもの話、
「レシピが読めなかった」
のである。

今現在、料理が苦手とする人の中に、この「レシピが読めない」問題が少なからずあると思うのだが、当時の私はまさにそれだった。
今でもはっきりと覚えているのだが、
麻婆豆腐のレシピを見た瞬間、面食らってしまったのだ。
甜麺醤、豆板醤…???

私の場合、「塩をひとつまみ」「適量」というレシピ特有の表現はそこまで苦労したわけではない。
材料の多さに辟易し、何が要るのかがよく分からなかった。

諦めてレシピ本をそっと閉じたものの、それから数年、結婚前後に改めて麻婆豆腐のレシピを開いたところ、何の苦もなく材料が揃い、目の前にはそこそこの見た目と出来栄えの麻婆豆腐があった。
どこでどういう化学反応が起きたのかは分からないが「そういうことだったのか」パワーが確実に働いていたようである。

明日のタイトルは
達人と鉄人

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