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結局、そういうこと【100日間エッセイチャレンジ】

人生はその繰り返しじゃないか…とでも言いたくなるのは、私が成長し過ぎてしまったからかもしれない。

人間、もとい人生において、私が最も不思議だと感じているのは、
「一度経験したことは、二度と未経験の状態にはなり得ない」
ということだ。

どんなに素晴らしいモノや場所でも、一度目と二度目では感動の度合いが大きく異なる。
つまるところ、人は一度経験したものやコトを経験していなかったこと、なかったことにはできない。

だから、人は経験を重ねることで知識や見聞という名の財産を得られる一方、感動や新鮮さといった感情を味わい尽くす権利、とでもいえば良いのか、そういったものを徐々に失っていくような気がする。

「これってこういうことだよね」
「結局、こうなるんでしょ」
「どうせ、そうなるんだから」

そういった言葉が否応なしに増えていく。
「えーっ、すごい!」
「こんなの初めて!」
をずっと持ち続けられていたとしたら、
私達の人生はどういったものになるのだろう。そんなことを考えたのはきっと、一度や二度ではない。やはり、それでは身が持たなくなってしまう故、進化を積み重ねた故のことなのであろうか。

何も私だけに限ったことではないのであろうが、年々自分自身に面白みがなくなっていってしまっていることを自覚している。
いくつになっても、喜びや新鮮さを忘れないようにしたいと思いながらも、現実はそうもいかない。
書いているだけで虚しい気持ちになってしまった。これはよろしくない。

ところで、私は学生時代から数学が大の苦手でそれはもう散々苦労させられたものだが、証明や確率などといった、数学的思考を問われる分野は何故か好きだった。
【〇〇は××だから、結局、こうなる】
というのは、まさに数学的思考の賜物だと言えよう。

そう、考えてみれば、あまりにも単純なことだった。もし、何もかもが「初めて」で「新鮮」のままだったとしたら、人間は、学習が全くできない生き物に成り下がってしまうではないか。

「へえっ、1+1=2なんだ!すごーい!」
を、毎度毎度繰り返していたとしたら、確かに身が持たない。
そして何より、勉強にならず、学習効率だってガタ落ちも良いところだ。
やはり、人間うまくできているのだなぁ、と言うしかないようである。

明日のタイトルは
コスト•パフォーマンス


【おまけのあとがき②】

あまりにも悲しいことに、今日はこれで時間切れとなってしまった。
正直に申し上げると、完全にスランプ状態に陥っている。
続けることに意義があると信じ、何とか明日に繋げたいと思っている。

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