おじいちゃんとの約束
2001年1月14日。
大好きだったおじいちゃんが亡くなった。
2000年の年末に私の目の前で噴水のように吐血。
その後、いつもの病院に行き、
そこから総合病院へ緊急搬送。
総合病院へ着くやいなや、
「今夜がヤマです」
と言われ、
泣きながら実家の母に電話したのをまだありありと覚えてる。
人工呼吸に切り替えるからと、
処置室に運ばれるおじいちゃん。
何故か、その処置室に先生二人と、おじいちゃんと私。
先生達が、テキパキと喉の切開のための準備を進める中、
親戚の中で、最後におじいちゃんの肉声を聞いていたのは
当時大学生だった私。
もちろん、その場には
おばあちゃんやおばちゃん達など他の親戚もいたのに、
何故私が処置室に入り込んでいたんだろう・・・。
おじいちゃんのベッドが処置室に入るときに
ベッドの横にしがみつきながら
スルッと入り込んだ記憶がある。
私が入ると同時に処置室のドアが閉まった。
すぐに追い出されるだろうなと思ったのに
すぐには追い出されなかった。
日本の医療制度的に
処置室に医療者でもない親戚が入るとか
あり得ない気もするのだけど。
でも、確かに私はそこにいて、痛みに苦しみながらも、
生きようと必死に戦っているおじいちゃんと話をしてた。
おじいちゃんは「せっかく帰って来てくれたのに
(東京の大学から、年末年始の帰省で熊本のおじいちゃんの家に来ていた)こんなことになってごめん!」
と痛みに顔を歪ませながらも私にこんなことを必死で伝えていた。
私にとってはそんなことはどうでもよくて
ただおじいちゃんに生きてて欲しかった。
そして我慢強いはずのおじいちゃんを苦しめている
その痛みをなんとかしてあげたかった。
絶対に愚痴もこぼさなければ
痛みを訴えることもないおじいちゃんが顔を歪ませ、
お腹をかばって身体を前に少し曲げながらも
そして、今まさに喉を切開されようとしているのに
それにも関わらず久しぶりに帰省した私のことを心配してくれていた。
今思うと、私が処置室に紛れ込んでいたのは
きっとほんの30秒〜1分くらいの出来事なんだと思う。
(時間的な感覚はないけど、たぶん。)
おじいちゃんの首に茶色っぽい消毒液がかけられ
いざ、切開開始!
という直前に、処置室から出るように言われ廊下に出た。
処置前、最後に話した時のおじいちゃんは
痛みと戦いながらも、生きようとしていた。
時折カッと見開く目が、生きたいと訴えていた。
そんなおじいちゃんを見ながら、
私の中にもう何年も前から(中学生くらいから?)
かかっていた"霧"のような"もや"のようなものが
スーッと一気に晴れていった。
そうだ!
私、こんな風にどんな環境にあっても
生きることに必死で目の前の『生』と闘ってる子ども達の目の輝きを
応援するために産まれてきたんだった。世界中の子ども達のこの生きることに必死な目を応援したい!!
世界中の子ども達の笑顔に会いに行きたい!!
そして、子ども達がこの世に産まれてきてよかったと心からそう思いながら
生きていけるような世界を作っていきたい!!!
瞬間的にそう思い出した。
『思った』というより思い出した感じに近かったのは
きっと、私が産まれる前に神様と約束してきたことを
おじいちゃんが身を削って私に思い出させてくれた、
とそう感じたから。
その晩、おじいちゃんは『ヤマ』と言われたその日の戦いに勝利し、
ICUに入って数日を過ごし一般病棟に戻って数日を過ごし、
私は冬休みが終わり、東京へ。
その数日後、1/14に大好きだった皆に見守られながら
皆の呼びかけに、ニコッと微笑みながら
息を引き取ったおじいちゃん。
私は、おじいちゃんの最期には立ち会えなかったけれど
この23年半、おじいちゃんが思い出させてくれた
私の使命は、ずっと私の中にある。
足踏みばかりで歯痒い思いもするけれど
それでも、きっといつかは世界中の子ども達と出会い
一人でも多くの子を笑顔にしていけるはずと信じてもいる。
毎年1/14が来るたびに、
この○年で何ができたかなと考えたり
○年間、一度の曇りもなくこの想いが続いていることを
我ながらすごいなと思いながら
おじいちゃんと会話をしながら過ごします。
両親共働きだったこともあり、
幼少期、夏休みの半分近くは
住んでいた長崎から熊本の母の実家に
兄弟だけで行って過ごしていて
熊本の祖父母の家には従弟妹達も集まり楽しい思い出ばかり。
まだ勤めていたおじいちゃんの帰りの時間になると
従弟妹達も一緒に
おじいちゃんの会社の方に歩いてお迎えに行き
線路の近くでおじいちゃんと出会って
帰ってくるのが日課だった。
長崎の家に戻って、お手紙を書くと
誤字脱字を1つ1つ丁寧に修正を加えて送り返してくる
生真面目なおじいちゃん😆
(まだ幼稚園児だったよ笑)
おじいちゃんとの思い出を語り出すとキリがないけど
そんな大好きなおじいちゃんが思い出させてくれた私の使命。
今は、3歳の頃から自分のもう一つの夢だった
『お母さんになること』
こちらの方で忙しく充実もしているのだけど
もう1つの使命にどうやって近づいていくのか
20年以上経った今でもまだまだ考え続けているところです。
おじいちゃんの写真もたくさんあるのだけど
携帯からはすぐに探せなかったから
とりあえず親戚で賑やかに過ごしていたおじいちゃんのおうち。
&私が約束を果たすべく、
海外の子ども達と出会って来た写真のほんの一部をば。
最終的にどんな形態になっていくかはわからないけれど、
一生をかけてやるべきことが見えている幸せを感じつつ
そこに向かって少しずつでも歩んでいこうと思います👣
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