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母の日の呪いがとけた魔法の花束

「はい、これ。母の日だから。」
娘が差し出した花束は大きくて、思わず
両手を広げた。
ワインカラーの薔薇を基調とした
ドラマティックな花々に、
珍しいグリーンと白い小花がふんだんに
添えられている。
洗練されたテイスト。私の好みだ。
ああ、もぉ~。目が潤んでいく。

「ありがとう。やだ、泣いちゃうよー。
びっくりした。初めてだし。
すごい、キレイだね!
バイト代1日分つぎ込んでない?」
「そこまでじゃないよ。大丈夫。
『カーネーションじゃなくていいので
大人っぽくしてください。』って
お店の人に相談して選んだ。」
はにかむように笑う娘。
胸がぎゅうっとなる。
私の子どもにしておくのはもったいない。

最近、めっきり大人になって、
気づかいというか親を労わる気持ちが
感じられる。
気持ちだけでなく形にして見せてくれるのが
思春期を完全に抜けた合図に思える。

今年、誕生日プレゼントをもらった時も
感激した。初めてのことで本当に驚いた。
突然すぎて奇声を上げてしまったぐらいだ。
そして近頃はマメに家事をする。
一昨日だって、仕事帰りの私のために
冷凍餃子焼いてくれたし。
私が作り置きした料理も温めてくれたし。
単純だけれど、うれしくなる。
そして、私を好きでいてくれることに
安堵と感謝が湧いてくる。

最近の学生は忙しいけれど、うちの娘はちょっと事情が違う。
中学で不登校を経験してから、学校にいるより家にいる時間のほうがずっと長い。
リビングのソファでティーンエイジをずっと過ごして育った。
こんな生活にすっかり慣れたとはいえ、
お互いにストレスもけっこう大きくて、
気をつかい合って、複雑な感情が入り混じっている。
親として申し訳ないと思う自責の念は消えることがない。
娘のほうも親に心配かけて申し訳ないと思う気持ちが見え隠れする。
一方で、未熟な親に対する眼は厳しい。
一般論で言っているとしても、ぐさっと刺さることがある。


母の日の花束なんて正直なところ期待していなかった。
そもそも、プレゼントの文化はこの家にない。
いまや子ども達の誕生日もケーキだけ。
一緒にショッピングに行った時に、気に入ったものがあれば買ってあげることもある。
基本的に欲しいものはお小遣いで好きに買っているし。
夫にいたっては、プレゼントどころではない。こちらが黙っていれば
自分の誕生日に気づくことは決してない。
母の日が5月の第二日曜日だと覚えることは
不可能にちがいない。

割り切ったつもりも、母の日は私を憂鬱にする。何もないからではなく、忘れられない日があるから。
今年も例年通りくだらない思い出が蘇って
私は気分を紛らわすのに苦労していた。


遠い昔の母の日に、私は一度だけ注文をつけたことがある。

まだ幼かった子ども達が、夫と一緒に
真っ赤なカーネーションを買ってきてくれた。
とても可愛くて幸せな気分だった。
ありがとうって心から子ども達に伝えて、
すぐに花瓶に入れて飾った。
けれど、その後が悪かった。
私は浮かれていたのだと思う。
子ども達が寝た後、何の気なしに夫にねだった。
「来年は、〇〇花壇とかで売っているレトロな
オレンジピンクのカーネーションがいいな」と。
夫の顔色がさっと変わった。
「え?何かダメだった?
プレゼントに注文つけるっておかしいよ。」
沈黙のち離席。
ああ、こうなるパターンだったか。
正論と言えば正論だから、言い返しても仕方ない。
だけど、だけど、何かが違う...
私は子供たちのプレゼントに文句を
つけたかったわけじゃない。

それ以来、この家に母の日は訪れなかった。
自分でカーネーションを買ってみたりもしたが
どうも面白くなかった。
執着質な自分に嫌気がさす。
けれどどうしても、カーネーションを見ると
刺さったままのトゲが疼いてしまうのだ。

他人だったら、私だってもちろんしない。
大人のくせに呆れたやつだと思われても、
夫婦なら許されるレベルかと思ってた。
それなのに…
甘えたつもりが、ただ不快にさせた。
その事実に傷ついた自分を何年も認められずにいた。傷ついた自分をなだめる術もなく、不愉快なイライラを抱え続けていた。


ずっと苦い記憶がつきまとっていた母の日。
だから、私にとって今年の母の日は
特別の中の特別だ。
白馬の王子様レベルの破壊力がある。
何も覚えていない夫が私の横で
ニコニコしていても、もう諦められる。

我が子に機嫌をとってもらった感もあって
情けない気持ちはなくもないけれど、
私よりも娘のほうか精神年齢は高そうだし、
ここは素直に思いっきり幸せを感じよう。

なんて美しい花束。
ずっとずっとこういうのが欲しかった。
ありがとう。感謝でいっぱい。
苦い記憶が上書きされていく。
持つべきものは娘、かな。

〈おしまい〉

犬も食わないような平和な悩みを
書いてしまいました。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。










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