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日記youtubeを20本投稿した

アウトプットのツールを1つ増やしてみた。youtubeだ。

youtuberとか名乗れるようなものではなく、ただ自分の日記を音声で記録しているだけの動画だ。文章を書くのは、はてなブログを始め様々なツールで行ってきた。これは5年以上続いており、習慣化していると言っても過言ではない。私のバイブルの一つである樺沢紫苑氏の「アウトプット大全」によれば、話すことも重要アウトプット手段らしい。自分の考えたことを言葉にするのに、苦手意識がある私だったが自分の考えを自分の声で述べる練習をすることにした。

誰に聞かせるでもないので、動画自体のクオリティは悲惨なものだ。まずは、慣れと練習のために100本はあげようと考えた。最初は何を話したらいいのかわからず、食べ物の話ばかりしていた気がする。が、徐々に何にも捉われることなく自由に話そうと思いそれをレコードした。たくさん噛むし、言い間違えるしで散々なものを量産している自覚はある。しかし、徐々に慣れてきた実感も得られている。テーマを決めて、だらだら話す。一部をカットしたりはほとんどせずに、そのままを流している。

一度、録音したものを聞き返すと「うーん」「あー」などの間を埋める言葉の多さに嫌気がさす。しかし、これを直すには今の私の話し方の悪癖に気づくことがスタートとなる。自分の話している声を聞く機会は少ない。だから、あえて話し声を録音し自分の話し方を自覚することで克服のチャンスがあると思う。スポーツ選手が自分のフォームを動画に収め、それを確認し次の練習に活かすのに似ている。自分の話すことへの苦手意識を増幅させている気がしないでもないが、自分の声を録音することへの抵抗は薄れてきたと感じる。

20本投稿して感じたのがこんなところだ。自分の成長のためなら、youtubeに投稿する必要がないかもしれない。しかし、継続し続けるためには世界の窓に通じている場所でアクションしていたいなと考えたのだ。これは、ブログを書き始めた時と同じ思い。この瞬間に私が死んだとしたら、何もこの世の中に残らないのではないかという恐怖心。誰にも読まれたり見られなかったとしても、情報の渦の中には私の痕跡を残しておきたいと考える。

そして、終わりを設けることも私なりの継続戦法だ。動画は100本は投稿し続けると決めた。昔から「締め切り」というものがストレスだった。小学校の頃、夏休みの宿題も8/31という締め切りが怖いので7月中に(下手したら夏休みが始める前に)終わらせるタイプだった。今も仕事で数多の締め切りを設けられているが、締め切りのあるものを貯めるのがストレスなので可能な限りのスピードで終わらせている。たとえ、自分の時間を削ってでもストレスから解放されるために処理するのである。

現段階で、20本/100本中で1/5が進んだ。なかなかいいペースだ。また、自己満動画のため、無理なくあげられているのも気に入っている。編集時間は10分程度なので1日1本でもできるだろう。ただ、無理すると嫌気がさすのも早いので多く投稿しすぎないようにしている。100本目の動画の私はどんな変化を見せてくれるのだろうか。そして、その私の継続力に対して褒めることを今から胸に留めておこう。(ほっておくと自分に厳しくなりすぎて、心がおかしくなるのだ。)

趣味動画なので、宣伝はしない。「まみずハルカ」で検索したら、出てくるかもしれない。わからん。

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