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入社1年経って感じたこと

社会人2年目に突入し、1ヶ月が経過した。社会人(会社員)の1年間を振り返って見ようと思う。入社当初の仕事のイメージとは異なるのは当然だ。イメージと言っても、正直私は入社前は仕事をそこまでイメージしていなかったと思う。入ったら入ったでそれなりに成長があるだろうと感じていたからだ。入社後3ヶ月は、何をするにもインプットだったため一瞬にして時が過ぎていった。順応力がある私は環境の変化に負荷を感じなかった。マイナスを感じた部分は社会人として1日9時間拘束の週休2日という当たり前の習慣。大学生の自由なライフスタイルから一変し、生活の中で仕事に割く時間が増えた。単純に休みが足りないと感じた(今も感じている)そして、入社3ヶ月後には早くも飽きがきた。入社前から仕事は飽きがくるだろうと思っていたので、驚きはしない。そしてこの3ヶ月で飽きるというデジャブ感が否めない。私は趣味を始めるのは得意だが、しっかり3ヶ月でやめてしまう癖があった。だから、「またか」という心境であった。そして、若干の仕事内容の変化がありそれなりに持ち直し、あっという間に6ヶ月が経過。この辺で脳裏に「退職したい」という思いが見え隠れし始める。理由はネガティブなもので、楽しくないから。そんな矢先、苦手だと思っていた上司の異動命令。モチベーションの下がっていた心に光が差した。異動命令が出た時からの2ヶ月が一番、苦痛だった。特に、仕事内容や人間関係で変化はなかったがこの変化のなさが退屈で退屈で仕方なかった。ここまで、書くとネガティブなことばかりだったと思われそうだが、実際はそんなことはない。職業柄、人と接する機会が多いため、その辺のスキルは身についたと感じる。きっとこれは私の一番苦手なスキルであるため、その底上げができたなと考える。さて、上司が変わり状況は一変した。仕事がやりやすくなったと感じた。しかし、この状況も時間の経過とともに飽きが来てしまうのが事実である。不当と思われる理由で怒られることはなくなったが、根本的な仕事内容は変わらない。仕事内容や会社や上司へ文句を言うつもりは無い。ただ、この状況を受け入れてしまっている私の責任だと思う。もともと私が勤めている会社では、入社3年までの社員に求められていることは単純作業が大半だからだ。習得の早さに関わらず、年月が必要になる。退職する人も多い。そして、私もその意思を固めつつあるのだ。1年経つと、自分のことだけではなく長年勤めている先輩社員の生き方を見つめるようになる。将来、この先輩方のようになりたいのか。なってもいいが、憧れることはないのが正直な気持ちである。そして、仕事面だけしか見ていないので私生活はどんな風に過ごしているのかを知らない。総合的に判断することは難しい。しかし、私が勤めている会社に限らず「安定」に魅力を感じていない自分がいる。当たり前や中庸が幸せの近道なのは百も承知なのだが、関心がわかないのはどうしようもない気がする。思考や捉え方を変革させるべきなのか、好奇心や本能の赴くままに生きるべきなのか。このことを考え続けて何ヶ月も経っているんだ。仕事とプライベートの両立がなんたらかんたらと議論される昨今。優先順位を明確に決めないままに、だらだらと続けるとただの仕事人間になりそうで恐ろしい。将来について、考える方だとは思うがそれでももっと具体的に決めるのが先決だと思う。ノートに人生のうちにやりたいことを書き出したことがある。それを実現するために、今プロセスを踏むのもなんだか強迫じみている。得意の「思い立った時にすぐ行動」でこなしていくのが心理抵抗上はベストだ。今の仕事は正直、自分には向いていない。人並みにはこなすことはできるが、楽しくなければ価値はない。この先に、楽しい仕事や自分の向いている仕事をできる可能性はある。ただ、保証というものはどこにも存在しない。今だけを見ると逃れるのが効率が良いと思う。将来を見ると何もわからない。

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