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「夜と露」読了したからアウトプット

気になっていた「夜と露」読了した。アウシュビッツ収容所から生還した心理学者の経験を綴った本だ。アウシュビッツというと毒ガス・強制労働のイメージがもともとあったので最初の方の収容生活の模様を描いた章は個人的には衝撃を受けなかった。が、この本を読み進めていくと心に刺さる教訓を得た。それは第二段階収容所生活という章の「苦しむことはなにかをなしとげること」という項だ。とても抽象的に書かれていたが自分なりに噛み砕き心に留まった。一言でいうと「生きることに苦しみ尽くすことが含まれている」。私は、「苦しみ=悪」と捉え、これを駆逐するためにがむしゃらに動いたり考えたりする傾向にあった。そして、決まって一難さってまた一難。いや、一難どころではなく多難。苦しみを逃れることに躍起になってもそれは、無駄なストレスの発生と突然の無気力を生むだけだ。それに注力することで、視野が狭くなっている感覚を得る。

だから、本書の「苦しみ尽くす」という考え方は一番の衝撃だった。苦しみを悪と捉えず、当たり前にあることとみなす。そして、苦しみ尽くすと腹を据える。あれほど、苦しみに対して嫌悪感があったのに、この捉え方をすると心が軽くなった。「何事も自分の捉え方次第」というのは、学んで来たつもりだが白黒はっきりしていると感じていた「苦しみ」でさえ、受容が自分を救うのだった。現在、苦しみを感じている場合それを嘆くのではなく、苦しみ尽くし「生」を感じるのだ。

ここで、自分のことを振り返る。おそらく、この捉え方で「苦しみ」対する怖さは駆逐できた。しかし、私の問題は苦しみだけではない。ネガティブ系であれば「焦り」がある。焦りと苦しみは別問題だ。自分に「〜をしなければいけない」と課題を課しそれで心が休まらないのが悩みの一つだ。一つ一つの課題に対して苦しむことに問題はなくなった。が、その前のプロセスで「焦り」が発生している。本書に戻るが収容所生活には焦りというものが描かれていなかった。それは、収容所内で死んでしまう人も生還した人も同じだ。焦りは苦しみの前段階なのかもしれない。いや、焦りの先に苦しみがあるとは言い切れないから単にベクトルが違うのか。

苦しみへの対処は(現時点では)攻略できたので、次は「焦り」への対処を攻略したい。焦りそのものへのコミットではなく、それに対する正当な理由づけが欲しい。

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