お金よりもトークネタの方が価値がある。
最近ラジオを聴いてて思うのが、
何で、みんなそんなに面白いトークをたくさん持っているんだと。
(特にオードリーのANNを聴いているのですが、長尺トークが好き。)
と思っ時に、自分トークネタ持っていないけど、これから人生において必要になってくるから、持っておかないとと最近思う様になりましたので、今日はそれについて。
▶︎トークネタと楽しさ
この文章の結論から書くのですが、
トークネタを持っている人って、日々の楽しさや苦痛を面白い事に変換した人だと思うんです。
それに変換出来れば、人を楽しませるモノになりますし、ただ変換した面白い事で楽しませる事で、相手から良く思われたり信頼されます。
まあメリットしかないのかなと。
この信頼って人生楽しく生きる上では結構大事というか、何事にもコスパが良くなるんで必須アイテムとして、お金よりもたくさん持っていないといけないと思います。(細かい事は抜きにして。)
それだけではなく、面白いネタを持っている人は経済的に価値ある人になるんだろうなと思ったからです。
そもそも価値とは何か。
それは「差異」です。
aはbより効用が高いから価値があるのです。
でもaを上回るcが出てきた瞬間に、aの価値は一気下がります。
価値の要素の一つとして、希少性・唯一性があります。
これを他よりも保てているだけで、差異が生まれるのです。
基本的に、トークネタってコピーされずらいです。
内容や話し方含めて、個性が出るので、この「希少性・唯一性」が保たれ続けます。
このトークネタって、そんな爆笑させる様なものでなくていいんだと思ってて、
いかにフリを上げられるかとか、オチがちょっと変わっているだけでもいいんだと、ラジオを聴いてて思います。
とりあえず聴いた相手が喜んだり、楽しんだりするネタがあれば、それだけで相手と良い関係が築けるのです。
▶︎お金の価値とは
そもそもお金より価値があるとはなんだという事ですが、
1万円札って何で原価24円なのに、10,000円の価値が付くんでしょうか。
これは法律で決まっているからでも、お金が商品だからというわけでもなく、
「みんなが信用して使っているから」です。
つまり、
この1万円札を相手はちゃんと1万円札として受け取ってくれて、それは将来も確実であるから。
でもそんな保証は一切なく、いつ紙切れになってもおかしくありません。
海外では、1万円札の貨幣の価値よりも物の価値の方が遥かに高すぎて、
りんご1個を100円ショップとかで売っている折り紙で交換しようといている状態になります。(何枚あってもいらない。)
お金・貨幣というのは、
もちろん法にも守られているので、唯一性は保ち、
また交換手段として便利で、みんなが使っていて人気もある事で、普通の紙切れ以上の信用が積み重なっている存在なのです。
いわゆる虚構なのです。
でも弱点として、1万円札は1万円でしかないのです。(印刷ミスとかで価値が上がるのは除いて)
それ以上は受け取ってくれないのです。
なぜなら、価値が決まっているから。
それに対して価値が決まっていないものがあり、それはアートです。
価値は相手がどう見るか次第で決まります。
アメリカでたしか2000年代に名前は忘れたのですが、一人の画家がいました。
彼はファミレスでナプキンに1ドル札の絵を描いていました。
それを見つけた店員さんが、そのナプキンの絵を買いたいと言い、彼はその絵をファミレスの食事代として交換しました。
これを知った彼は、またある日は同じ様に描いた絵で支払いを済ませ、またお釣りも貰ってしまったんです。
当然、これを警察は取り締まります。ニセ札を偽造している容疑で逮捕はしますが、起訴はされません。
なぜなら、彼の絵画は貨幣以上の価値があるからです。
分かりづらいですが、
普通は、絵画→貨幣に換金→貨幣で支払い
のルートですが、この貨幣に換金するのをしてないだけで、物々交換をしているだけなんです。
このように貨幣は貨幣でしかなく、アートは貨幣の価値を超えてしまう事が可能なのです。
これは絵画の価値自体は、想像の賜物なので、人気があるホンモノは常に価値が上がり続けます。
モナリザはモナリザで、King gnuはKing gnuなのです。
質があって、希少で、人気を保てれば、勝ちです。
▶︎日々の楽しさを作るためのネタ探し
まあ自分は一般人なので、そんな一発逆転のスキルは何一つ持ってないですし、簡単に持てないですが、
トークネタはこれよりかは比較的容易に持てると思っています。
経済的な価値で言えば、面白いネタがある人って人から興味を持ってもらいやすいと。
そのためには日常のネタだけではなくて、サブカルも含めてコアなジャンルとか、幅を広げておくことが大事だと。
一つのテーマを深く掘ってもいいし、幅広く知っておくのでも良くて、いかにそのコミュニケーションを楽しく出来るのか。
少なくとも相手を楽しませて、興味を持ってもらえるだけで、ちっちゃな価値が生まれるので、
何もない人が何者かになりたいなら、自分なりのネタを持っている事は大事だと。
またネタを見つけようととする行為自体、
自ら楽しさを作る行為なので、嫌な事があってもそれをネタに出来れば、チャラになると。
いかに苦痛を減らして、楽しさを増やすか。
何者かにならなくても、自分の中で、楽しさが苦痛を上回る様に差異を作る事が、楽に生きる上で大事だと。
楽しさや豊かさって求めるものではなくて、感じるものだからこそ、
感情のお釣りをもらい続ければ、自分の人生は最高になるのではと。