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「本を語る」2024/6/9「竜二」


❶[1BOOK]
「竜二〜映画に賭けた33歳の生涯」
生江有二著 (株)幻冬舎 幻冬舎アウトロー文庫
1997年4月25日 初版発行

❷「本を語る」
☆デビュー直後の死(1983年11月6日付毎日新聞夕刊)
“80年代のヤクザ映画“として、若い世代にいま圧倒的な支持を受けている映画「竜二」に主演してデビューしたばかりの俳優、金子正次さんが6日午前3時35分膵臓がんのため東京世田谷区奥沢の板谷クリニックで急死した。33歳だった。
「竜二」初日の10月29日、新宿東映ホールで舞台あいさつをしたあと頭痛を訴えて救急車で入院した。この作品はアゴ&キンゾーの佐藤金造、金子さんが演じた竜二の女房役に永島暎子らを起用しての自主制作で、今春3カ月がかりで撮影された。川島透監督も新人で、脚本は金子さんが鈴木明夫のペンネームで書き上げたもの。
新宿を舞台にヤクザの世界と市民生活を往来する竜二は、すごみをきかすチンピラが職業であるかのように振る舞う若い男で、任侠映画がブームを呼んだ時代と違った時代のヤクザを描いたユニークさが高く評価されていた。金子さんはその好演で今年の新人賞の有力候補とみられ、出演依頼も殺到していた。
その華やかなデビューから1週間目に、俳優・松田優作、劇作家・内田栄一氏ら仲間や家族にみとられながら、惜しくも他界した。
[思いついたこと]
1980年前後の新宿・ゴールデン街は、映画関係者だけでなく、作家、音楽、TV、演劇などあらゆるジャンルの「クリエイター」の溜まり場でした。そこでは毎晩のように、議論や喧嘩を繰り返しながら、ある種の「化学反応」が起こっており、「サブカルチャー」と呼ばれる活気のある時代でもありました。私はちょうど、78年から82年にかけて、新宿のジャズ喫茶やゴールデン街のスナックで働き、その時代を目撃するチャンスをいただきました。そのころは、国産映画が衰退の危機的状態にあり、映画を製作するのがとても難しい時代でもありました。そんな中で頑張っている人たちが集まっていたのです。
[そして]
上記の新聞記事の中には、懐かしい名前も出てきましたね。と言っても、もう40年以上も前の話なので、この本の主人公である「金子正次」さんだけでなく、すでに亡くなっている方も大勢います。また、1983年の秋といえば、前年の暮れに娘が生まれ、私の実家での「マスオさん同居」の真っ最中。とても映画どころではありませんでした。だから、実際にこの映画を見たのは、おそらくずっと後になって、レンタルビデオになった頃だと思います。
[しかし]
時々、大学のこともあって、時々上京していましたが、その折には友人たちからこの映画の噂は聴いていました。だから後年、ビデオデッキを買って、レンタルビデオを借りられるようになると、真っ先にこのビデオを借りたのだと思います。当時は、ジャッキーチェンのファンになり、香港映画にハマっていました。カンフーやコメディ映画だけでなく、「男たちの挽歌」から始まる香港版のヤクザ映画が評価され始めた頃、1980年代末期のことです。好きが昂じて、香港に渡航すること4回。映画の撮影所まで訪問しました。作品としての映画も面白いですが、それを作る過程は、もっと興味深いものです。
[だからこそ]
この「ルポルタージュ」には意味があるのです。私は、いろんなものに興味を持っていますが、スポーツ界には山際淳司さんというお手本があるように、「ノンフィクション・ライター」を目指すなら、この本のような「あの時代」のことを残しておきたいと思います。私が関わった「あの頃」の人たちが、消えてしまわないうちに。

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