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「好き」のハードルは下げていい。「好き」を公言しよう。

「好き」のハードルは下げていい。
「好き」を公言しよう。
発信することで「好き」が集まってくる。

これは先日参加したライター向けのセミナーで心に残った言葉だ。

どうしてこの言葉がわたしに刺さったのかというと
好きなものを「好き」と公言する前に
「もっと詳しい人はいるしな」とか
「語れるほど好きかって言われると、どうだろ」という感じで
なぜか遠慮してしまうマインドが働いていたからだと思う。

このマインドが、わたしを「発信」から遠ざけていた
1つの要因ではないかと今は感じている。

「好き」を公言すること。
これはよくよく考えると自分にとって良いことしかなさそうだ。

例えばわたしが急に「imaseが好きだ」と言い出したとしよう。
実際には「nagisa」とか「18」とか「僕らだ」とか
最近のメジャーな曲をかじった程度である。

でもそれを、「にわかにimaseを語る資格なし!」と
一蹴する人はいったいどれくらいいるだろう?
「もっと詳しい人がいるし…」なんていう遠慮は
いったい誰のための遠慮なんだろうか?

むしろ「好き」と公言しないことで失う
コミュニケーションの機会を考えたら
公言しないという選択肢は
自分にとって損でしかない。

わざわざ文章にする必要なんてないような気もしてくるほどに
小さな悩みというか、無用な遠慮だったなと思う。

そういうところで言うと、わたしは好きなものがたくさんある。

音楽が好きだ。
最近は特に新しい音と出会いたい欲求が高まっていて、色々と聴いている。
imaseも好きだしBE:FIRSTも好き。Adoもかっこよくて好き。
昔からミスチルが大好きで、無印のBGMが好き。
早朝に聞くチェロの音色が好き。作業しながら聴くEDMも好き。

読書も好きだ。
最近になって読み始めた村上春樹は、海外の小説を読んでいるかのような台詞回しと情景描写の繊細さが好き。
俵万智の子育て短歌集は胸が苦しくなるくらい好き。
『毎日読みたい365日の広告コピー』も何度も見返してしまうくらい好き。
ひすいこたろうの『あした死ぬかもよ?』も好き。

スタバのチャイティーラテが好き。味付たまごが好き。朝の散歩が好き。
美術館が好き。デザインが好き。オシャレが好き。映画が好き。

好きなものをアウトプットするのはとても気持ちの良いものだ。
まだまだ書ききれないが、こうして書いてみると、自分は好きなものにたくさん囲まれて生きているんだなぁと思えてくる。
いや、実際そうなのだろう。

なんだかセルフセラピーをした気分だ。

どんどん「好き」って言ってこ!
わたしは発信するのが好きです!

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