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Duolingoが娘を相棒にしてくれた。

Duolingoをついにやりきったので、今日は興奮気味にそのことを書きたい。

言語学習アプリ「Duolingo」。
ぼくは昨年から娘と一緒にDuolingoをやっていて、昨日ついにダイアモンドリーグのトーナメントに勝ち残った。やったー!

簡単に説明すると、Duolingoユーザーと学習の進捗を競い合い、長い間上位で勝ち残り続けた、という感じだ。

娘と一緒にやっている、といってもアカウントは別々。お互いに進捗を競い合いながら、同じタイミングで入賞を果たすことに成功した。

* * *

ぼくは今、気づけば様々な習慣を家族と共有している。「水風呂チャレンジ」という名の温冷交代浴、京都銭湯めぐり、ブクログでの読書記録、朝抹茶、朝ノート、葬送のフリーレンやハイキュー!などのアニメ鑑賞、ピアノ、寝る前のストレッチ、XGの最新動画チェック(ただの推し活)、などなど。これがなんとも楽しい。

わが家のこの「習慣の共有」の走りとなったのが、今思えばDuolingoだった。

1年以上前Duolingoに初めて触れたとき、これは子どもでも楽しく英語を学べそうだぞ、と感じたので、「一緒にやってみよー!」と娘を誘いさっそく彼女のアカウントを作ってみた。

直感的に答えられる問題が多いとはいえ、娘にとっては初めての語学学習アプリ。最初はつまずく場面も多く、とくに負けん気の強い娘は何問か連続で間違えるとすぐに「これわからん!!もう!!」と機嫌を損ねていたが、その壁もいつの間にか越えていた。

これまで何度も何度も、子どもたちが「できなかったことができるようになる」シーンを見てきた。うがいや縄跳び、ボールをキャッチしたりピアノで簡単な曲を弾いたりすること、弟に何かをやさしく教えること、時間通りにYouTube鑑賞をやめること。例をあげるとキリがない。

だから「今できない」ということは、彼らがどれだけ悔し泣きをしようとも、ぼくにとっては割とどうでもいい。
だって「できるようになる」と知っているから。

それよりもだ。
過程のほうがずっとずっと重要だと思っている。
それは、毎日やること。
これは、本当に大事なことだと強く信じている。

1日にほんのちょっとでも、1分でもいいから毎日何かを続けること。
これは、何か新しいスキルを身につけるのとはまた違う難しさがあると思う。
端的にいえば、「自分の意志との闘い」の要素がとても大きい。

しかし、だからこそ、毎日の習慣化によって身についたスキルは揺るぎない実力になるし、小さな変化の積み重ねは大きな変化を生んでくれるし、何よりも自分を信じる根拠になる。

習慣が人をつくる。雨だれ岩を穿つ。自分を信じる根拠があるから自信が持てる。
ぼくにとって、これは最も美しい概念といってもいい。

Duolingoひとつで何を大げさな。と思うかもしれないけれど、ぼくはこの習慣化の難しさと素晴らしさを、実体験として子どもに話せたことはめちゃくちゃ意味があったと思っている。

実際、娘の連続学習記録は140日を数えた(ぼくより7日長い)。年末年始も休まず続けていた。上位リーグに進むにつれライバルたちもDuolingoガチ勢の猛者たちばかりになり、彼女も負けん気を発動してガチ勢となっていったが、そんなふうに楽しみながら複数の言語を同時に学び、聞いたりしゃべったり書いたりしている。

語学学習の世界にすごいことが起きてるぞ、と驚愕しつつもそれはさておき、とにかく毎日続けていることが本当に素晴らしいことなのだと、彼女には何度も力説した。連続100日達成の日には誕生日かのごとく外出してお祝いした。それくらい、誇らしいことだと実感してほしかった。

連続記録更新の旅はまだまだ続くだろう。
ただ、1つの区切りとしてリーグ争いを最後まで走り切った僕たちは、力強くハイタッチをかわした。
父と娘、よき相棒の誕生の瞬間であった。

———完―――

さて、Duolingoのおかげで子どもたちは、様々なことに対して連続記録に執着し始めた。習慣化の難しさを彼らより知っているぼくとしては、彼らの執着を活用させていただかないわけにはいかない。

というわけでこのnoteも、数日前から娘に「note毎日更新するし!」と宣言し、毎日更新報告をしている。すると娘からは「今日は書いた?まだなの!?ダメじゃん!!」と叱咤激励されるというわけだ。習慣化成功のためのいい相棒である。

さあ今日もちゃんと書けたので娘には叱られずに済む。安心安心。

それでは、おやすみなさい!

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