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Re:Start 2024/06/01

 我が家は亡父が大正生まれて、亡母が昭和一桁の生まれだ。双方とも当時の社会情勢から鑑みても裕福な家に育った方だと思う。亡父は当時の職業軍人、亡母は財閥解体に引っかかった家の我が儘娘。親類からは「ボンボンとお嬢の結婚」と言われていたそうだ。
そんな二人が出会ったのが、上記の写真の場所。東京は杉並に今は総合病院となっているが、イギリス発祥の救世軍(*1)が作ったサナトリウムだ。
両親の家系共に喘息疾患を抱えており、戦時中に結核を患いそこで手術をした。第二次世界大戦の最中に手術をしてサナトリウム(しかもキリスト教関係)で長期療養・・・つまりは相当お金が必要だったわけで、その財政は推して知るべし、なのだが。
「それって本当に戦時中の話ですか?」ということはザラにある。

写真の建物はすでにないが、写真はまだまだたくさん残っていて、当時の結核でサナトリウムの開放病棟にいたためか、両親の写真は洋装が多い。連合軍の建てた医療機関だから、当然東京大空襲での被害はない。非国民と罵られても、ここがなかったら、両親は出会っていないし、私も弟も生まれていない。最も結核患者同士の結婚で、当時は「子供は諦めなさい」と言われていたらしい。が、私も弟も帝王切開で生まれているので、自然分娩ではない。
 両親も連合軍の傘の下で守られた時期があり、私が中学から短大まで通った学校の創始者もアメリカの女性で、双方ともキリスト教の教えの元に年を重ねることができたわけだ。その割にクリスチャンではないし、お墓は日本のお寺である(苦笑)。こういう日本の無宗教的なところが、我が家には私が生まれる前からあった。
 職業軍人だった父は洋画が大好きだったし、母は戦後に連合軍に徴収されていたホテルでヒラヒラと経理の仕事していたためか、鬼畜米英という言葉は聞いたことがなかった。(日本人入れませんのとこ)
 そうそう、先日朝ご飯の話を昭和世代と話をしていて「おっと!」と思ったのが、我が家の朝食に味噌汁が出てきたことは数えるほどで、トーストとコーヒー(がきんちょの私たちは牛乳)が定番だったことを思い出した。

 亡父なんぞ職業軍人なのに、戦後にオールカラーのディズニー映画『砂漠は生きている』を観て
「こういう作品を作れる国と戦うなんぞ、無謀なんだよな」
と、言っていたらしい。母も頷いていた。映画の話になると、私の師匠に驚かれたのは亡母が1938年に公開されたハリウッド映画『ユーコンの叫び』を観ていたことだ。(戦時中よ。どこで観たんだか)いたく感動したようだった。
 こんな両親のツケを払わされたのか、私の昭和はなかなか波瀾万丈だった。

(*1)救世軍
https://www.salvationarmy.or.jp/about/history


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