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7歳の私 : 切手のコンテスト

小さな頃の記憶、それもこれまでに何度も繰り返して思い出しているできごとは、たぶん大人になった今にも何か影響を残しているように思うんです。

小学生の頃、毎週水曜日にお絵かき教室に通っていました。

たしか、仲良しだったお隣りのヨウコちゃんが通っていたので、私も一緒に行きたいと言って通い始めたんだったと思います。

その教室では、小川荒野先生という画家の先生が用意してくれるユニークな課題があって、床に座ったりごろごろしながら、絵を描いたり、何かを作ったり。

▼小川荒野先生のこと

今、小川先生のことを書き始めたら、今はどうされているのかな?と、ちょと気になって検索してみたんです。

すると、動画が見つかったので見始めたのですが、小川先生の姿、お話される声を聞いたらなんと思いがけず、うわっと涙が溢れてきて……自分でもびっくり!!

何の涙なんだろう、と今はまだちょっとわかりません。懐かしさなのかな……?、私の記憶の中の小川先生は、ウェーブのかかった長髪で細身のスラっとした姿だったのですが、思えばそれはもう40年近くも前のこと。

今では、丸顔のおじいちゃんになっていました!
そして優しそうなお顔や話し方は昔のまま……

現在の小川荒野先生

長い時が経ったことを実感したのだったり、もはや私の頭の中だけの物語のようになっていた、遠い昔の記憶が、一気に現実感を持ったことだったりと、感情が大きく揺さぶられたんだと思います。

▼切手のコンテスト開催

私が小学2年生のときに、上野動物園が100周年を迎えています。
その年、それを記念した切手の絵柄をみんなで描いてみよう!という課題が出されたことがありました。

出来上がった切手の絵はみんなで投票を行い、優勝者を決めるコンテスト形式にするとのこと。

優勝すると、いろんな国を旅して周ってきた、小川先生の外国切手コレクションの中から、好きなものを選んで1枚もらえるというのです。

手のひらサイズの紙が配られて、サインペンでイラストを描きました。

私は、外国の切手がめちゃめちゃ欲しかった!!

だからすごく頑張って、笹の葉を持って座っているパンダの絵を描いたのですが、思うようにいかずマンガみたいになってしまい、ぜんぜん切手っぽくありません。

【再現】こんな感じでした……

小2なので、もちろんそんな言葉は知らなかったのだけど、アレは「不甲斐ない」という気持ちですね。
とっても悲しくて悔しくて情けない気持ちになりました。

ところが、いざ投票がされると、
なんと!私のパンダ切手が優勝しちゃったんです。

▼優勝がうれしくない

約束通り、優勝賞品である外国の切手を選ばせてもらうことができました。
私は深緑色の背景に金髪の女の子の横顔が描かれた、とってもきれいな切手を1枚もらいました。

でも、自分の絵に納得が行ってなかったので、あんなに欲しかった切手をもらっても、あんまり喜べなかったんです。

私が作りたかったのはこんなのじゃなかった。これが私の実力だと思われるなんて恥ずかしい。それなのに選ばれちゃうなんて、みんなは見る目がない。
ただかわいいからっていう理由だけで選ばれちゃったんだと思うけど、それじゃあぜんぜん良くない。

なんだかひねくれています笑

私はそこから、ずーっとその種類の気持ちを引きずってひねくれてきた気がします。

上手くいかなかったのに褒められた→見る人に目がない、同情されている、おべっかを使われている、そんなふうに疑って、受け取らずに生きてきた気がしています。

ストイックと言うか、可愛げがないと言うか、とにかくひねくれている笑

「そっか!これ、ステキなのか!わーい!うれしい♪」と子どもらしく素直に受け取れば良かったのに、子どもだったから、かえって、できなかったということもあったんでしょう。

▼涙のわけに気づく

小川先生の動画を見て流した涙のわけは、もしかしたら、もう長い時が経ったことに、ようやく気がつけたからなのかもしれません。

あれは遠い遠い昔のことだったんだよ、って。

評価されたのは絵の上手さじゃなかったかもしれないけど、色や配置のデザインがいいね!同世代の子どもたちにウケるキャッチーな絵を描いたのは戦略勝ちだね!とか、今なら選ばれるポイントはいろいろあったんじゃない?ということもわかります。

先生に褒められたかったのかもしれません。
先生が良いと思うような絵じゃなくて、私のマンガみたいなパンダ切手が選ばれたことに、先生はがっかりしていて、大切な切手を私にあげることを面白く思っていないんじゃないか、と考えた気がします。

でもきっと、そんなことはなかったはずです笑
子どもの私が思うほど、先生にとって切手はそこまで大切な宝物じゃなかったんじゃないかと思うし、ちょっとしたお楽しみイベントのひとつのつもりだったんじゃないかな。

7歳の私の考えは、きっと本当じゃなかった。

やたらと細部まで覚えている、幼い頃の記憶はとっても、あやしい。
トラウマというのは大げさだけど、その時に生まれた価値観を、長年引き摺っていることってあるんですよね、無自覚のうちに。

▼この話もそのひとつ。小さな胸を痛めていました。

小川先生は、もう私のことを覚えてはいないだろうけど、いつか個展に行ってみたいな〜♪

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