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見えない世界は夢の世界ではなくて、「私」の夢から覚めたところ

見える世界と見えない世界

その二つはバラバラではなくて
一つです。

見える世界は
見えない世界のほーーーんの一部です。
よく氷山の一角に例えられ
全体の4~5%って言われたりしてます。

見えない世界のことを
大いなる存在と表現することがあるように
とーーーっても大きい。

見える世界というのは
私の視点から見る個人的な世界。
認識できる範囲。

例えていうなら
見えない世界が大きな海で
見える世界(私)はその海の一つの波

見えない世界が大きな樹だとしたら
見える世界(私)は一枚の葉っぱ

そう考えると
見える世界だけでどうにかしようとしても
それは無理だわ。。。って
思いますよね。

だからといって
「私」って無力だなあってことではありません。

ただ
ほんの小さな一部だから
全部を知らないということです。
全体を掴むことは出来ないということです。

「私」はバラバラの存在ではなくて
見えない世界の一部

見せない世界というのは
大いなる存在、神さま、無条件の愛と言われたりもします。

つまり
「私」は
神さまが「私」というカタチになって
見える世界(物質の世界)に現れたもの

そんな「私」が無力なわけありません。

ただ、
「私」という見える世界だけしか
信じられないと思ってしまうと
残りの95~96%を使えなくなってしまうから
不自由だし、無力感を感じてしまうのは
当たり前かもしれません。


見えない世界というのは
ふわふわな夢見心地の世界というわけではありません。
「私」の本体です。

「私」は
見える世界だけにどっぷりつかりすぎて
「私」を動かしてくれている
本体のことをすっかり忘れて
「私」が生きていると勘違いしています。

全てはこの本体から出来ている同じものなのに
バラバラだと思い込んでしまっているほうが
夢を見ている状態といえます。

見えない世界を感じて生きるのは
この夢から覚めて生きること。

「私」という思考で制限されたストーリーから
解放されることです。


なんだかちょっと難しくなってきたかもしれませんが

こんな風にとりあえず思ってもらうと
いいかなと思います。

見えない世界を感じて生きるというのは
見えない世界の方がメインだとわかって
見える世界の住人の「私」の視点を生きること。
全ては一つから始まっていて
バラバラではないと知っていること。

現実逃避的なことではなく
「私」という個人的な狭い視野ではなく
高い視座からみていること

「私」という夢から覚めていることです。

Love&Joy



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