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いつものこと

「絶望も希望も感じなくなった。死にたい。破壊する気力も愛想笑いする心も消えた。生きることの意味が、もうない。空っぽとも違う。なんだか死にたくてたまらないのだ。きっといつものあれだろう、二、三日すれば何かに執着し始めてまた生きだすのであろう。しかし今はただただ死にたい、それだけだ。アドレナリンの噴出が脳に広がるのがわかって、私は息苦しくなった。そして呼吸が出来ない感じと意識がふっと霞んでいくのがわかった。ここから持ち直す方法を私はもう随分前に習得した。恐怖はどこにあるかを見据えればだいたい克服できるもんだ。これでは私は死なない。」

「死にたい死にたいバカみたいに死にたい。
生きているのが奇妙で不気味で存在のその先が摩訶不思議の世界で私は生きることとか死ぬことがなければいいのにと思ってしまう。」

「面倒だが死にたい。
私の存在がただのゴミクズ同然だし、生きてても他人の繋がりだとか暴言吐くやからだとかにもううんざりなのでああ消えたい。
ゴミクズのような人間に翻弄されるのはもう嫌だしゴミクズの中でゴミクズになっていくのがつらいと思う事がもうあれだよなって感じる。」

11月の終わりごろ私はこんな事ばかり考えていた。
重症である。
こんな考えに支配されて人生の半分以上を生きてきた。
十年ほど前、心の休息を求めて精神科のドアを開いた。
そこで先生が言った言葉が今でも時々心を楽にしてくれる。

「本当に今まであなたは一度も精神科に行かなかったのですか?深刻な鬱状態ですよ。小さな頃からずっと、よくここまで耐えましたね」

私はずっと耐えて、頑張ったんだ。この人は私の心の状態が深刻だって言ってくれた。私はおかしくなくて、病気だったんだ。おかしいけど、それは病気のせいだったんだ。
それだけで十分だった。

薬も飲まなかった。セラピーも途中でやめた。この心の状態で私は束の間の幸せをかみしめるようになった。きっと細い細い今にも切れそうな綱渡りのような状態だろう。つらくてもそれでいいと思える自分がいるし、その薬で抑制された悲しみや生き辛さを感じる事の無い私を良い状態ではないと思ってしまう自分がいるのだ。
もうこれが自分であるのだし、今更偽りの自分を作り上げる気力なんてないし、過去に作り上げた偽りの私でさへもう混合されて心地のよい魂の中の不純物であるのだ。要するに私は悲観の中で悲観をしてはいないし、あまのじゃくであり続けたいのだ。

ただ、こころが駄目なときに光になる言葉がいくつかあればよい。

あの日母がくれた手紙には彼女の新しい姓が当たり前のように記入されていて、かつて父に婿養子に来てもらってまで守った私たちの姓って何だったんだろうな、と少し哀しくなった。

いつでもどこでも私の両親は赤ちゃんだった。私はそんな赤ちゃんをいつも見守っていた。そんな事なんてないのにそんな感じがしていた。そして大きくなったら今度は私の中に小さな赤ちゃんがいるのだ。その赤ちゃんを大きな私が見守り、心の均等を保っていた。

子供たちがいるのに、私は自分の中の赤ちゃんを守る事に精一杯でよく罪悪感に苛まされる。

母は守ってくれる人を見つけて一緒になった。その人は父とは違い母を良い意味で温かく見守っているような人だった。ヒステリックな母に対抗せず穏やかだった。こんな人もいるんだとはじめて知った。

母がその人と再婚したのはつい最近の事だった。

それなのに、もうその人はこの世にはいないのだ。

いつも通り葬式なんかが終わってから母が連絡をくれた。

そう、いつだって私にはリアルタイムで悲しむ権利なんて与えられない。
だから疎外感で押しつぶされそうになる。

母はまた一人ぽっち。

この人はこれからどうやって生きていくのであろうか?

そんな事は本当はどうでもいいのであろう。でも私たちはきっとどこかで共依存していて、お互いに助けを求めあっているんだと思う。憎ったらしいはずなのに甘やかしてしまう。甘えたいのに素直になれない。私は縋り方がよくわからない。

人がよく死ぬな。

当たり前の事なんだけど、死ぬのはいい気がしない。

順番なんだけど、平等なんだけど、死ぬってのはちょっと嫌だな。

きっと私の悩みなんて今度強制送還される事になってるカンボジアの難民なんかよりもずっとちっぽけだし、昨日飲酒運転者に激突されたマスタングで寝泊まりして即死したホームレスなんかよりも深刻じゃない。

いつも通り私の中の死にたいは突如消えた。

母は妹を振り回し、妹は疑心暗鬼に陥り、私はただの傍観者。

書く事も読むこともパソコンを開ける事もできなくなった。
ただ手元にあるスマホをいじってインスタグラムでいとこの赤ちゃんなんかを見て考え事を極力しないように頭をリセットした。
クリスマスにあり得ないほどのつまらない買い物をしてちょっくらへこみ、連れの父親が肺炎をこじらせて入院したのでお見舞いに行ったりした。200ポンド以上あった巨体が半分ほどに縮み別人の形相だった。それに衝撃を受けた連れは父親のパートナーを罵り出したので、この人とはもう無理かもしれないと本気で考えた。

仕事も無駄に忙しくて、通しで働く日曜日は疲れすぎて次の日何もできない。

突然すべてを投げ出して、私は飛びたい。

私がいなくなってもそんなに世界は変わらないし、時は流れていくのに躊躇ばかりしてしまう。

あたらしい時を刻むのは創作の中だけでいいと思っていた。
でも時々そこを抜け出して、あたらしい土地で一人孤独に寄り添いながら自由をかみしめてみたいと思う事がある。

書きたいと、書けないと、書きたくないがふらふらしている。

本当は怖い。書くのが怖い。書いて全てが消えてしまうのが怖い。

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