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中村和平さん(一色在住/葉山生まれ育ち&Uターン)【ひとから観える葉山#4】

中村和平 / 一色在住。葉山生まれ育ち。戻って3年目(2021年から)。
Photograph / Videograph / Editting / SNS Marketing

 カフェテーロ葉山(一色の古民家カフェ)で、オーナーの大下力さん(以下リキさん)から、「動画や写真をフリーランスでやっている人」と紹介してもらった和平くん。リキさんは、お客さん同士が勝手につながっていると言っているが、リキさんがさらっと声をかけてくれることでご縁ができた人は多い。
 その後、Facebookの投稿で活動を見ていたり、時折、町内で顔を合わすことはあったけど、ゆっくり話したことはなかったので、これを機会に堀内のカフェ楚々でお話を聞いてみました。和平くんが葉山生まれだということも知らなかった!

「やりたいことを、やっておかないと」〜子ども時代の葉山から、戻ってくるまで〜

大澤 和平くんがどんなことをしているのか、実はよくわかっていないところもあるので、今の活動と、それに至るまでの経緯みたいなものを教えてもらえる?

中村 葉山町の一色で生まれて、一色小学校、葉山中学校で過ごしました。子供の頃は、ゲームもやっていたけど、保健センターの裏山に秘密基地作ったり、加藤メディカルアーツクリニックの近くにあった廃墟に忍び込んでみたり、外でも結構遊んでましたね。Flower Labさんの後ろの今のアパートがあるあたりにも、だだっ広い空き地があって、そこでも駆けまわってました。そういう自由な場所が、ある時から立ち入り禁止になって建物が立ったり、遊び場になってたジャングルみたいな丘が整備されて行ったり、そんな変化を少し寂しく感じたことも覚えてます。中学では、陸上部で、部活終わったら、学校のプールで泳いで、そのまま海行って、友達んち行って夕飯食べさせてもらったり、泊まることもあったなあ。海や山が近いのが当たり前のような楽しい生活でしたね。
 でも、中学2年頃になると、急に変化が訪れました。それまで、自分のことしか考えてなかったのが、急に他人の目が気になるようになったっていうか。学年上がったクラスの雰囲気とかもあったかもしれないけど、「みんなで楽しく、みんなで仲良く」みたいなことがすごく嫌になって。斜めに世の中を見たり、人と同じことをするのを避けるようになった感じですかね。今は、どれだけ素直でいられるかが大事だって思うようになりましたけど。だから、音楽もパンクロック聞いてたり、みんなが「ジャンプ」とか「コロコロコミック」を読んでる時に、30代くらいがメインターゲットの「アフタヌーン」を読んでたりしました。
 高校まで葉山にいて、大学入ってから14~5年は都内です。大学卒業後に、ゴリゴリのベンチャー(広告代理店)に新卒で入って、最初1年は営業をやってたんですけど、うまくいかなくて。2年目からはずっと人事、最後は化粧品部門のマーケティングを1年やりました。10年くらい勤めたかな。
 そんな中、2020年コロナの少し前に、警察官で風邪ひとつ引かなかった父親が60代半ばで亡くなったんです。気づいた時には、手遅れの状態で。「人っていつ死ぬかわからないから、やりたいことをやっておかないと」ってしみじみ思いました。父の死後、母親が葉山で1人になることもあったし、人生を見直したい思いもあって、2021年に実家に戻り、翌2022年に独立しました。

空気感を大切に〜なんでもない風景を自分の視点で表現〜

大澤 シンクロのような話なんだけど、このインタビューシリーズの1人目のハニータナカさんも、友人が若くして亡くなっていたことが、「やりたいことやり、会いたい人に会う」ことのきっかけになったって言ってた。そう思うと、近しい人は亡くなっても、応援してくれているというか、身をもって、自分が行きたい方向に進むことを後押ししてくれている気もするね。
 ところで、営業とか、人事をずっとやって来たって話だけど、どこから、今やってる映像とか写真が出てくるの?

中村 学生時代はバンドをやっていて、ギターボーカルをしてたんですけど、仕事するようになってからは、特になにもしてなくて。なんか趣味を持ちたいなと思った時に、たまたまカメラを手に取ったんですよね。最初は昔の音楽仲間のつながりで、ライブを撮りに行ったりしてました。そのうちに、少しずつ撮影の依頼が来るようになって、副業的な仕事になっていったんです。動画もその流れでやるようになった感じですね。最初はライブとかアーティストを撮っていたんですけど、だんだん広がって自分の表現手段になって行きました。
 写真って何でもないものを自分なりの角度で切り取って、物語を持たせることができるじゃないですか?感覚的に「あ、俺、これがやりたかったんだ」と思ったんですよね。だから、最初は人に見せるとか関係なく、狂ったように写真撮ったり、絵を描いたりしてました。SNSに上げるでも、誰に見せるでもなく、ただ自分が楽しくてひたすら撮っていただけのいい時代でした。

和平くんの公式HPより

大澤 写真や動画が趣味から仕事になったり、自己表現の手段になったりして行ってるわけだけど、和平くんはどんな作品を撮るの?

中村 俺は、なんか寂しい感じの写真が好きなんです。綺麗なものはもうそれだけで十分じゃないですか。それを写しても面白くなくて。なんでもない風景の空気感を自分の視点で切り取るとかが好きですね。はっきりはわからないけど、中学時代に感じてた「みんなと同じは嫌」というのも、ここに通じているかもしれない。自分にしか見えないものを表現したいというか。
 写真にしても、映像にしても、大切にしているのは空気感を表現することですね。映像編集って本当に面倒なんですよ。色味やカット割りとか、1時間作業して、10秒くらいしかできなかったり。でも、その10秒が自分が表現したい空気感になっているとき、何ものにも変えがたい満足感があるんですよね。「ああ、1時間かけてよかったあ」って。写真も同じで、1時間歩き回って、納得行くものが1枚しか撮れなくても、「やった」って感じになります。自分の中で完結できる満足感得られるのは、俺にとっては写真と動画なんですよね。

和平くんの公式HPより

大澤 和平くん自身の中に、世界の見方というか、感覚・センスみたいなものがある気がするけど、アート的なものって、子供の頃から好きだったの?

中村 絵を描くのとかは、昔から好きでしたね。さっき話したように、海や山で遊んだりもしてたけど、子供の頃は絵を描くのも好きで、ひたすら描いてました。絵の教室に行っていたわけではないし、両親がアートが好きとかでもないんですけど。小さい頃から、なんとなく黄金比がわかるというか、絵の中にモノを描く場所とか空白とか、写真の配置とか、これが気持ちいいという感覚が最初からありました。

葉山は誰かと比較することのない「素」の自分に還れる場所

大澤 面白いなあ。話を聞いていると、元々もっている性質の上に、環境や体験が重なって、今の和平くんがつくられているって感じがするな。
 ここで、改めて、今回のインタビューのテーマに立ち返ってみたいんだけどさ、「人から観る葉山」っていうことで、葉山という土地と人との関係を見出だしてみようとしているんだけど、実際戻って来てみてどうだった?

中村 実は、大学から社会人の最初の方までは、葉山のことをそんなに好きって感じじゃなかったですよね。元々住んでいる人間からすると、葉山に残っている人に「なんで出ていかないんだ」って感じていたし。でも、仕事で疲れた時には、実家に帰って、毎回必ず一色海岸に行っていていました。誰かと比較することない、「素」の自分に戻れるというか、包み込んでもらっているような感覚を感じさせてくれるんですよね。まさに、「海は広いな大きいな」じゃないけど、自分はガチャガチャしていても、海は変わらずそこにあるから、原点に戻してくれる。アーシングというか、自分の中のごちゃごちゃしているところを、整えてくれる感じかな。都会からムチャクチャ離れているわけではないけど、スイッチオフ出来るくらいの距離感で、故郷としてはいい場所だなというのは思ってました。
 それで、父親の死後、実際に葉山に戻ってみて、この場所も、集まってくる人も改めていいなと思うようになりました。外からやって来て、お店開く若い人もいっぱいいるけど、みんな「ガンガン売れてえぜ」みたいな感じじゃないですよね。葉山の自然やゆったりした空気感が好きで、それに合う店を出したいと思っているところがあるから、雰囲気が保たれている気がします。だから、生まれたところですけど、出会い直して、第二の故郷感があるというか、移住して来た人と同じような感覚にあるかもしれない。葉山の新しい楽しみ方を堪能している感じですかね。

面白い人と自然につながっていく

大澤 葉山の新しい楽しみ方って、言語化してみるとどんな感じ?

中村 面白い人たちと自然につながる感じかな。この楚々もそうだけれど、カフェテーロみたいなHUBになるような場所が起点になって、人と人が無理なくゆるやかにつながっていっている感覚があります。カフェテーロは最初ただの客として行ってて、雰囲気がいいところだなあと思ってはいたけれど、注文する時以外、お店の方と話す機会はありませんでした。でも、せっかく地元に戻って来たんだから、葉山を盛り上げたい気持ちもあって、ある時、トライアルでカフェテーロの動画を撮らせてもらったんです。それがきっかけになって、まみーた(大澤のこと)もそうでしたし、色んな人を紹介してもらうようになりました。逆に、外から友達が来たら、カフェテーロに連れて行って、友達を紹介したりで、カフェテーロを起点にした人間関係の広がりって、結構大きいですね。
 水棲生物画家の繁田穂波さんの展示会&ライブイベント動画をつくらせてもらったのも、別のカフェからのご縁でした。友達から、葉山に越した友人がいるからって紹介してもらった人が一色BASE(御用邸近くのお店)とつながりがあって、その流れでお仕事をいただいたんです。

大澤 なんか自然な感じで仕事が生まれていってる感じがするね。

中村 そうですね。だから、「こんな仕事してます。こんな作品あります。」みたいな感じの普通の営業は、葉山では敢えてしないようにしています。写真・動画の仕事以外に、外部人事の仕事もしているんですけど、それもほんとに偶然の流れの中で出て来た話でした。ある建築会社さんの施設の動画撮影に行って、そこの社員の方との立ち話をしたとき、自分が人事の経験があるという話にたまたまなったんです。ちょうどその時、その会社さんが、人事経験者を必要としてたタイミングで、すぐに社長さんと話すことになり、そのままお手伝いさせてもらうことになりました。
 人事の仕事も好きなんですよね。ベンチャーの時の経験なんですけど、ある部署で力を発揮できなかった人が、別の部署に行ったら、すごく生き生きするのをザラに見て来ました。仕事がうまくいかなくて自分はダメだと思ってやめてしまって、別の会社でまた同じことを繰り返すことって結構ありますけど、ただ合わないだけってこともあるんですよね。実際、自分も営業はダメでしたが、人事に移ってからは、本当に色んなことを経験させてもらえるようになりました。自分がもがき苦しんでた時代があったから、同じような思いをしている人の力になりたいなっていうのもあります。
 だから、いつか葉山でも不登校のお子さんに関わることもしたいなと思ってます。自分がやっている写真や動画のことでも、編集の一部をそういったお子さんと一緒にやることで、自信がつくこともあるんじゃないかと。自分自身、仕事が辛い時も、写真っていう自分を支える軸があったからやってこられたこともあるから。

根本を大切にする地に足がついた「暮らし」が息づく生態系

大澤 最後に改めて、和平くんにとって「葉山ってどんなところか」「これからどんな風になって行って欲しいか」というの聞いてもいいかな。

中村 言葉にするのは、なかなか難しいですね。空気感というか、「ふわっ」とした感じが葉山にはあるかな。温かい感じというか。それと、生き物のように拡張と収縮を繰り返しているように見えます。自然に、意図せず、人が集まっている感じがあって。一つのところに留まり続けるコミュニティで固定化するというんじゃなくて、1人1人が目的を持って生きてて、今でいうDAOとか自律分散型みたいな感じで、集まったり、解散したりを繰り返しているような場所だと思ってて。
​​ 改めて考えてみると、葉山には、根本の部分、人としての幸せを大切にして、そこから派生するもの営みにしている人、場所、コミュニティが多いなあと思います。都会はもっと、ビジネスでも枝葉の部分を扱っているというか。西洋医療が病気を見て対処療法をするのに対して、東洋医療が体全体を見るように、風が吹いても飛んでいかない、地に足がついている暮らしに基づいた活動がここにはある気がしますね。
 だからか、小さなお子さんがる家庭でも、好きな仕事も諦めず、日々の営みや、人との関わりを楽しんでいる方が多いなって思います。家族ぐるみでの関わりも多く、仕事の場と暮らしが地続きで、拡張家族的な関係性がある感じ。これまで、家族を持つことにはあまり興味がありませんでしたが、葉山に戻ってきてからは、いろんな家族に触れて、少しずつ考え方が変わってきた気がします。
 これからっていうことでは、面白い30〜40代がもっと増えて欲しいですね。それと、そんなにガンガン新しい店建って欲しくはないけど、その代わり、1つ1つがめちゃめちゃ面白い場所がどんどん出てきたらいいなというのはあります。カフェテーロやここのように面白い人が集まるHUBになるスポットが、ビジネスとして続いていけるような流れができるといいなと思うし、それには協力したいですね。自然な人のつながりが生まれる大切な場所だから。

(2023.01.16)

和平くん公式HP


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