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見飽きただろう仮想現実。

昔々、会社で働いていたころ、社員旅行にカメラを持って行ったら、なんとなく写真係になってしまったことがあった。

スマホはもちろん携帯電話も、それどころかデジカメすらない時代。今みたいに誰でもなんにでもカメラを向けるような習慣はなくて、職場の仲間と写真を撮るチャンスはあんまりなかった。

景色のいいところでバスを降りて1枚。旅館の前で1枚。宴会の席で上司と1枚。そんななか、好きだった先輩とツーショット写真を撮るチャンスがあった。先輩はかなり酔っぱらっていて、普段見せないような笑顔だったし、わたしも相当嬉しそうな顔をしていた(と思う)。

後から知ったんだけど、写真係が撮ったものはネガフィルム(わかるかなあ)で提出するシステムだった。他にも写真係がいたから、全部まとめて会社で焼いて(印刷会社だった)、貼りだしてみんなが買うシステム。つまり、わたしは写真の状態で見ることはできない。

だけどわたしは、その先輩とのツーショットを会社のみんなに見られるのは嫌だった。貼りだされるなんて、恥ずかしすぎる。

だから、そのネガフィルムを蛍光灯で透かして確認して、はさみでそのツーショット1枚を切ってから、提出した。

で、後日、自分でその1枚のネガフィルムを持ってカメラ屋さんに行った。

このとても小さなネガを焼いてくれとお願いして、カメラ屋さんも注意深く受け取ってくれた。、、、、なのに。

そのとても小さな、でもとても大事なネガは、なくなったのだった。


わたしは、酔っぱらった先輩の顔がどのくらい赤かったのかも確認できず、蛍光灯で透かした白黒さかさまのふたりの笑顔しか見られなかった。

そしてわたしはこの一部始終を誰にも話せず(だっていろいろ恥ずかしい)、先輩はわたしとツーショットを撮ったことも忘れたでしょうし、全部なかったことみたいになった。

だけど、わたしは今でもはっきり覚えてる。片手にお酒を持って笑ってる先輩の顔もわたしの緊張した笑顔も。白黒だったはずなのに、先輩のグレーのスエットもわたしの水色のオーバーオールも、絵に描けそうなくらい浮かんでる。

たぶん、ちゃんと写真になったとしたら、すごく大事にしただろう。でも、きっと、この出来事はまるごと忘れただろう。

こんなに鮮明に覚えているのは、手に入らなかったから。

取り返しのつかないことだから。




今は写真なんて、いつでもどこでもすぐ撮れる。メモ代わりの写真。スマホの写真データがいっぱいになっても、クラウドさんがちゃんと保存してくれてる。

大事なものを「失くす」ってことがほとんどなくなった。それはとってもありがたいことだし、安心なこと。

でもその安心のなかにいると、取り返しがつかないもののほうが、贅沢に思えてきたりするから不思議。



こないだカフェライブに行って、思ったんです。

今、アーティストたちは生き残るためのいろんな方法を考えていて、有観客でライブをしても、その様子を配信でも買えるようにしたり。

そうすれば、出かけられないひとたちもライブを観られるし、アーティストたちにもその分の収益もある。いいシステム。

そしてもちろん、実際に観に行ってるわたしたちでも、その配信ライブを買うこともできる。

てことは、家に帰ってさっき観たライブを見直せるんですよね。

あのとき話してたことよく聞き取れなかったとか、あの曲のきょうのギターがいつもと違うフレーズ弾いてたなとか、確認できる。

それはそれで贅沢なことだし、素敵なこと。

だけど、わたしは、実際に観に行ったライブの配信は観ないことに決めている。

だって、その一瞬の気持ちに集中したいから。歌を聴きながら思ったこととかが大事で、聴き逃したものだってそれはそのときの一瞬。貴重な一瞬。

あとで見直せるって思ったら、絶対に変わってしまう、その一瞬。


取り返しがつかないその一瞬こそが、すべてで大切。


時間がたって、鮮やかに思い出せるのは、一度だけの、蛍光灯がまぶしくて片目つぶって見てた、白黒さかさまの笑顔だったりするから。




*タイトルはぺこすの好きな(ほんとはわたしもだいぶ好き)トラビスジャパンの歌詞です。ずっと配信でしかライブできなかったけどやっと会えたねって歌です。

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