見出し画像

バツイチの心を抉るからやめてくれと思うのに何度も聴いてしまう曲、pale blue

米津玄師さんのpale blueのMVを見ました。

色んな人が色んな批評を書いていて、著名な方が素晴らしい解釈をしていて、そんな中でこのことに自分が何かを書くなんて、なんて陳腐なと思いました。でもそんなこと気にしてたら結局何もできないのかもしれないなぁと思う自分が現れ、陳腐でもくだらなくてもなんでもいいじゃない、表現したいことや書きたいことはガンガンいこう!という気持ちに落ち着いたためnoteへ書くことにしました。

このことだけでなく恋愛においても何においても人の思いや価値観はそれぞれだから、不快な思いをさせてしまう方やそれは違うよーと思う方も多数いらっしゃるとは思います。もし奇特な方がいて気に入ってもらえたら嬉しい。


そして本題に入ります。

米津玄師さんドライフラワーもってる…恋をしていた、恋をしている、と歌う合間に出てくる「枯れてしまったエーデルワイス」「黒ずんでいくアクセサリー」という歌詞。ドライフラワーには恋をしているとき、幸せだったときの気持ちをずっと美しい思い出のまま閉じ込めているのかな。

このMVに出てくる椅子はほぼ2人がけのベンチやソファだったりするんですよね。でもそこに2人が並んで座ることはない。2人が見つめているのは別々の景色で、菅原小春ちゃんは外で景色を眺めてる。米津さんはお家の中で歌ってる。2人ともお互いのことを思ってるのに、一緒の場所にはいない。

お家の中で踊る小春ちゃんの頭には布がかかっていて米津さんが見ていたものそのものを知ることができない。外に出てベッドで歌う米津さんの周りには布があり、小春ちゃんの見ていた景色を見れているわけではない。お互いが歩み寄っているのに、どこかすれ違いで苦しい。

水がいっぱいの花瓶には枯れないようにお花を入れたいのかな。2人がまたうまく出会うことはあるのかな。並んで椅子に座ることはあるのかな。



切な〜〜〜〜!!!!!

サポートありがとうございます。いただいたサポートは生活費に充てさせていただきます。サポートを何卒宜しくお願いします