すべての生き物に心があると信じる
すべての生き物に心があると思います。
私は昔、虫取りが好きでした。
捕まえようとすると虫は逃げるし、掴めば暴れます。
捕食されたくないから必死で抵抗する……虫取りだけしていると、そういう生き物たちの姿しか見られません。
そんな私に驚きを与えてくれたのは、カブトムシと触れ合える施設のスタッフのお兄さんでした。いつものようにカブトムシのツノを掴んで持ち上げようとした私に、お兄さんは、カブトムシを手に乗せることを教えてくれたのです。
歩いているカブトムシのツノをつかんで、その場から引き剥がそうとすると、カブトムシはぐっと足場にしがみついて抵抗します。しかし、カブトムシの前に手を出してカブトムシのおしりをつつくと、すんなり手の上に乗ってきてくれます。がっしりした力強い脚で手に乗られても、こちらがカブトムシを掴んだり引っ張ったりしていなければ、カブトムシもリラックスしているようで、痛くありませんでした。
ここから、「逃げていく生き物を鷲掴みにする」ことしか知らなかった私が、少しずつ、生き物の自然な姿に興味を持っていきます。
元々私は、狩猟本能っぽい「動くものを捕まえる興奮」が楽しくて生き物を好んでいたため、生き物を捕まえずに眺められるようになるまでには時間がかかりました。
今でも大きな獲物を捕まえたい気持ちはあるかもしれません。でも捕っても逃がすようにしています。捕まえる代わりに、写真を撮って眺めることも増えました。
写真を撮ろうとしても、生き物は怖がって逃げてしまうことが多いです。誠にリラックスした野生生物たちの姿というものを、まだ私は見たことがないのかもしれません。けれど、たまにふっと、生き物たちは自然なような姿を見せてくれます。
部屋の中で、膝がこしょばいなと思って膝を立てて見ると、私の膝の上でアリが一心不乱に毛づくろいをしていて、ほっこりしたりしました。
昆虫にも毛はありますが、毛の本数は少ない種類もあるので、毛づくろいというよりは身づくろいとかグルーミングと呼ぶのかもしれません。しかし、毛づくろいって言うとなんだか可愛いですね。虫たちは丁寧に毛づくろいをします。哺乳類や鳥類が毛づくろいや羽づくろいするのと同じくらい、可愛いと思います。
写真を撮っていて、逃げない子もいたりしました。そういう場合は長く撮れます。長く撮れば撮るほど一匹の虫の模様や行動や表情が見えて、興味が沸きます。その後調べて、名前を知ったり、新たな情報を得ることもあります。
長くは撮れなかったけれど、気になる生き物も。
私がタブレットで虫を撮り始めた最初の方に出会った、ヤマトシリアゲ(シリアゲムシ)には心を奪われました。
最初に出会ったのはオスで、まず目を引いたのは、サソリのような立派な尾(腹端)。他の虫とは少し違うような、独特な羽の動かし方も新鮮で、長い口や黒い体、羽の模様なども、とてもかっこよかったのです。それで夢中になって写真を撮り、あとで検索で調べたことで、シリアゲムシの多くにオスがメスに食べ物を贈る「婚姻贈呈」の行動があることを知り、ますます好きになりました。
生き物の生き方すべて、本能だとか習性だとか種の特徴とか言ってしまえばそれまでかもしれません。しかし私にはそれが「心」に思えるのです。葉っぱやハチに擬態するとか、他の生き物に食べられないように工夫して卵を生むとか、そんな不思議はすべて、生き物が考えて生み出したことだと。美しい姿も、人間がオシャレをするように、生き物たちの個性を表しているのだと思います。人間は個体の意識が強いけれど、もしかしたら生き物は、種類ごとの意識が強いのかもしれませんね。
カメムシを調べていて、子育てするカメムシがいることを知りました。背中にハートマークのあるエサキモンキツノカメムシは、子育てをするそうです。他にも子育てする虫は色々。以前ムカデを撮ろうとして追いかけまくって調べていて知ったのですが、ムカデも子育てするそうです。
屋外で出会ったムカデは、私が少しでも物音を立てると、ビックリして逃げていきました。ムカデには逃げずに向かってきそうなイメージがあったので、意外でした。本当は臆病なのかな……と。向かってくるイメージは屋内でのことで、もう逃げ場がないと分かっていたから人間に向かってきていたのかもしれないと思うと、ちょっと切ない気持ちになりました。
屋内には、虫が隠れるのに有利な、草や落ち葉や木があまりありません。隠れる場所がない屋内や、外であっても一色の壁やコンクリートの上で人間に見つかった虫は、緊張しているのかもしれません。
虫たちの触角の動きや歩き方、すべてに気持ちが表れていそうに思えます。怖いな、楽しいな、嬉しいな……色々なことを感じているんじゃないかという風に見えるのです。
虫だけでなく、色々な生き物に気持ちがありますね。インコや魚の動画を見たときは衝撃的で、すべての生き物に間違いなく心があるのだろうと思いました。世界の見え方が変わりました。
生き物が主人公の本や映画があっても、「生き物に気持ちがある」なんて勝手な想像による擬人化であって、本当の生き物に気持ちはないと思う人もいるかもしれません。けれど私は、生き物に気持ちがあることを信じます。今は人間は恐れられているから、あんまり生き物たちの豊かな表現を見られないけれど、未来の世界ではきっと生き物たちはみんなリラックスして、多才で可愛い姿を見せてくれると思います。
人間に人間の気持ちは分かるでしょうか。いじめに戦争……まだまだ分かっていないと思います。ピンクレディーのUFOみたいに次々人の気持ちを察することができるかというと、多分ほとんどの人はそうでもなく、友達でも家族でも、「なんで分かってくれないかなぁ」などと時には思いながら、心を通わせようと努力しているんだと思います(たまにものすごく気が利く方とか、人と喧嘩したことがない方とかいるかもしれませんが)。
テレパシーで、人の気持ちが簡単に分かったりはしない。いじめも争いもある。そんな、人の気持ちがまだまだ分からない私たちに、「生き物に感情がない」なんてことが言えるでしょうか。人間の気持ちも幸せも分からないのに、生き物のことが分かるはずないと思います。科学も心理学も教育も、すべて解決できるほどの力を持っているなら、今この瞬間すべての社会問題が消えているはずです。
生き物に心がないなんてことはない。でも私たちは食べなきゃいけないし、生き物と争いになる。私はうっかり虫を踏みつぶしたり、良かれと思って余計なことをして、「しない方が良かったかも」と落ち込むこともよくあります。耳元で鳴った羽音にビックリして虫をはたき落としてしまったこともあります。まだ、虫が飛んでいることが怖かったりするのです。
私に、虫好きの人ほどの知識や思いやりはありません。うまく対応できません。虫好きの人はもっとすごいです。私は全然です。
生き物に心がないと思っているほうが、失敗しても、私の至らない部分に落ち込まなくて済みました。けれどやっぱり、生き物には痛みも心もあると思います。私は虫の羽音が怖いし、姿に思わずゾゾッとしてしまうこともあるけれど、姿や生き方で生き物を差別しないようになりたいです。
そして、ただ怖いと思っていた生き物でも、姿をよく見たり生態を調べると、素直に「美しいな、可愛いな」と思えるようになってきた部分もあるのです。正直まだ怖いけど、人間の美意識が時代と共に変化するように、生き物に対してのイメージも、自分で変えることが可能だと思います。
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