手紙の在る生活について考えてみる①前書き

祝日、バンドも何もかもがオフになり時間ができたので、英国に住む知人老夫婦に手紙を書いた。
年に1往復の文通を、かれこれ10数年にわたりしている。毎年の恒例行事である。

いつもは「また会いたいね」「東京に来てほしい」という言葉を認め、写真を同封し、それなり陽気な気分で投函をするのだが、今回は少し違った。

いつ、会えるのだろうか。もしかしたらもう、会えないの、だろうか。
と、初めて思った。
郵便局の方には「今の情勢だとすぐには届きませんね。」と言われた。

終わらないパンデミック、のみならず、始まってしまった争いの報道に、ただぼんやりとした不安を抱くことしかできない。
不安を抱えながら、いつも通りを生きることしかできない。
ふざけたことをSNSに書くにはすこしの罪悪感が伴う、それ以上でも以下でもない変化。その変化に感じさせられる自身の無力さに、妙な苛立ちを感じるのだ。
きっとみんな同じで、その葛藤を抑えながら生きているんだろうけどね。わたしだけじゃないのだろうけどね。

さて、この投稿の本題はそれではなくて、手紙の在る生活について、あくまで前向きに、書きたかったのです。
ただ急にモヤモヤとしてししまい前置きが長くなった…本編とは分けたいので、また後ほど。


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