見出し画像

父の日だから、それらしいことを書こうと思う

9/100

父の日の日曜日、ニューヨークは晴天に恵まれていた。この月曜日はビジネス再開の2段階目ということもあるから、きっとニューヨーカー達の心も晴れやかで、期待に満ちているに違いない。ワタシに至っては、いつ自分の行きつけの美容室は再開するのかな、なんてぼんやり考えている。

在りし日の父との思い出は、年を重ねるにつれ、幼い頃の思い出はよい思い出に、晩年の父との思い出は苦い思い出へとグラデーションになっている。だからと言って、父が嫌いというわけでは決してないし、父がいなかったら、母とも出会わなかったわけだし、よってワタシという人間はこの世に生まれてくるこもかったわけだから。ただ我々は、人生というものはいつもハッピーな締めくくりが待っているわけではないということを体現する間柄と言えばいいか、それを定めとされた父娘だったのかもしれない。

ワタシが小さい頃、海外出張で一年の三分の二を留守にしていた父は、出張先のお土産を必ず買って帰ってきていた。圧倒的にヨーロッパへの出張が占めていたので、今でこそ「お、おしゃれじゃん?」なんて、お土産の価値も分かるだろうが、子供の時分には理解できなかった。そんなお土産のひとつに、ワタシに買ってきてくれたものなのか、はたまた母に買ってきたものなのか記憶は定かでないが、二体の人形が今でも実家の母の部屋にある。ひとつはプラチナブロンドの白人の女の子の人形で、もう一つは黒髪の黒人の女の子の人形だ。かなり顔つきが大人というか、日本で見るそれとは異なり、サイズも子供が片手で抱きかかえた時に、抱いているなという手応えがしっかりわかるような大きさ、存在感だ。座らせた時の座高が25センチぐらいはあるんだろうか?どういう考えがあって白人と黒人の両方の人形を父が土産として持ち帰ったのか知る由もない。が、ここまで大人になった今の自分としては、白人の人形だけでもなく、黒人の人形だけでもなく、両方を持ち帰ることを選んだ父を嬉しく思うし、感謝している。

そんな父は生前、ワタシがジャズを歌っている音源を聞いたことはあったと思うが、生で唄うところを見る機会はなかったように思う。これがワタシの心残りでもあるし、ひょっとしたら父の心残りだったかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?