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旅を始めた当初は割りと本気で
「死のう、その前に会いたい人に会って話したいことをはなそう」そんな思考だったはずだ。

人と会って話す、その重要性や役割が
生きる上で必要不可欠であることに気づけた。

帰り際「またあいたいな~」と無意識に思う。
それは無意識に「また生きようね~」と思っているということだ。

死ぬことはじつは生きることより難しくて、
最後どのような死をむかえるか、くたびれて死ぬその時を楽しみに生きてごらんよってとあるひとがいっていた。

「死ぬ楽しみ」
なかなかない発想だ。
旅を通して感じたことは「楽しかった!」それに尽きる。

私に生きていてほしいと思っていることに気づくことができたし、私のために涙を流してくれる人もいた。
そのような人を目の前にしてもなお
「あぁそれでもいなくなりたい」と思う、この惨めさ。
想像つくだろうか。

それが鬱というものなのだと思ったりもする。

もちろん同時に、そのような人を目の前にして
死ぬ選択肢は今は選ばないでみよう、そうも思えた。

今回死なない選択肢を選んだ理由もそこが大きく関係してる。

意欲的に生きる気はないし、そんな元気もない。
ただ愛してくれる、会いたいと思ってくれる人がいるから、もうすこししぬのはさきでいいかな。

じゃあ生きる選択肢を選んだ。
これからも私は苦しむわけだ。
それとどう向き合っていくか?
人とはなす?ほんを読む?たしかにそれも一理ある。

でも私はきれいに生きることはやめたんだ。

また出会い厨気が向いたらするし、
いろんな人に会ってそれでまぎらわすことができるなら、私にとってもそれはいいこと。

あとは、最近臨床心理学のほんを買ったので、
すこしゆっくりぺーすでよんで
心の勉強もしてみようと思う。

私のことだからすぐ彼氏ほしい~
淋しい死にたいくるしい~ってなると思うけど、
その自分ともむきあって、じゃあ今はほん読んでみようね、薬のもうね、出会い厨もありだよって、優しくしてあげようと思う!

明日から時短の仕事頑張ります✌🏻