言葉のパワーを知っているのに、なぜ普段は意識しないのだろう『本日は、お日柄もよく』[23/100]
「ごめんなさい」
娘があまり良いとは言えない点数のテストを持って見せに来る。
この「ごめんなさい」を聞くと「うーーん」と思ってしまう。それは、点数に対しての「うーーん」ではなく、「伝わってないな」という「うーーん」だ。
私は、テストの点数に関して、良いか悪いかはあまり気にしていない。テストの点数は「その点を取るために何をし、その後どうするかを考えるために使ってほしい」と心から思っている。これは、紆余曲折ありつつも、私と夫でずっと話し合った結果、我が家の方針として決めたことでもある。
しかし、娘たちに伝わっているかといえば、伝わっていないんだよなぁ。
なぜかといえば、それはおそらく、テストの点数が良いときに「良かったじゃん」と私なり、夫なりが褒めているからだと思われる。たぶん、この一言では、親の感情が点数に反応していると思われて仕方がない。
本当にテストの点数を気にしないということであれば、「テストの点数が良かった」と喜ぶ子どもの気持ちや、「ちゃんと毎日コツコツと頑張ったから」という過程に対して「イイネ」をたくさん伝えるべきところを、端折ってしまっているからだろう。
こんな感じの「ちょっと違うんだよな」という違和感の残るコミュニケーションは、意外と日常に多い。
「ちょっと違う」ならまだしも、受け取る側からすると「え? ちょっと失礼じゃない?」という違和感を覚えた場合は、人間関係に悪影響があることだってある。
よく言われるのは「夕飯はうどん”で”いい」という表現。こちら、私も言われると「カチーーーン」となる。「夕飯はうどん”が”いい」では、一文字しか違わないのに、すごくすごく伝わり方が違う。
しかし、その裏にある気持ちは「今日はラクしよう」とか、そういった労いの気持ちがあるかもしれないのだ。
ちゃんと伝わったら、相手も自分もすごくいい気持ちなのに、伝わらないと、怒りや悲しみになってしまう。そしてこれは、そんなに珍しいことではない。
言葉を使うこと、話すこと、伝えることは、あまりに私たちの身近にありすぎて、気を配られなさすぎなのではないだろうか……。
以前から考えていたことが、原田マハさんの小説『本日は、お日柄もよく』を読んで、確信に変わった。
「言葉は、すごい力を持っている。でも、日常ではその力が軽視されすぎている」と。
主人公が、スピーチライターとして成長していくストーリー。スピーチを通して、世界が、世論が変わる瞬間が臨場感をもって描かれている。
読んだ後に感じたことは「言葉が世界を動かしている」ということだ。
アメリカ初の黒人系大統領が誕生したのは「Yes,we can」のフレーズが耳に残る名演説があったからだろう。
最近では、WBCで日本チームを優勝に導いた言葉として、大谷翔平選手の「憧れるのをやめましょう」という激励があったと報じられた。
言葉が、私たちを動かしている。
そんなの、わかっていたよ、当たり前じゃんって思いました? そうだよね。でも、そのわりに、私たちは普段、そこまで言葉に注意を払わないように思う。
だからこそ、常に言葉を操ることができる人は、強い。言葉は、何を選び取るか次第で、毒にもなるし、何よりも強い力になることもある。
だから、普段からちゃんと「私はなぜこの言葉、単語をこの伝え方で伝えるんだろう」と立ち止まって考えたいと、この小説を読んで感じた。
世界や歴史を変える力がある「言葉」。その強力なパワーをしっかりと理解し、操ることができたなら、たぶん私も、私の周りの人たちも、ハッピーなる。そしてそれは、伝播していって、大きなハッピーの波を作ることだって夢じゃないだろう。
言葉の力をちゃんと認識し、普段から大切に使いたい。
まずは、家族や周りの友人たちに掛けることばを大切に選びたい。
そんなことを考えるきっかけをくれた本でした。
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