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disられても、くじけずやりたいことは?[79/100]

SNSで発信することが苦手だ。
自分の考えも及ばないところで誰かを傷つけてしまったり、怒らせたり、嫌な思いになってしまわないか、怖い。いや、それ以上に、私が、それにより攻撃されることが、怖い。これは、ライターにとっては致命傷であることも知っている。

こんなに多くのコンテンツがあふれている中で、私のSNSの文章1つで何が変わるんだ、自意識過剰だ、とも思う。けれど、やっぱり、苦手なままだ。
まだ10代の尻も青いうちは、自分の主張が絶対正しいと思い込んで生きていけた。声高に主張をしていた気がする。自分の意見を伝えたいという想い(その主張は、社会にとっていいことだと妄信的に信じていた)と、そんな主張をキリッといえるオレにも、陶酔していたように思う。うふふ、若いっていいですなぁ。

それが、社会人になってから「あれ? こんなに断定していいのかな? わたし何様だよ」とか「これ、私の主張と逆の立場の人にとっては、disってると思われて、嫌われないかな」などと気にし始めた。これが、歳を重ねたことによるいわゆる社会に適合しようとしているためなのか、スマホとSNSの普及のせいなのか、わからない。

自分の文章を世に放つと、否定され批判されることもある。怖くないですかと聞かれるが、disられたくらいでやめられるのならば、最初から書いていない。他人のコメントでくじける程度の欲ではないのだ。

ストイックという強欲【さとゆみの今日もコレカラ/047】

disられるかもしれない……という「まだ起きていない未来」を悲観して、書くのを辞めるような主張は、自分の魂の叫びではないのかもしれない。というか、書くこと自体に対しても、まだ及び腰で取り組んでいるのだろうか。

働き方研究科の西村佳哲さんは「何の仕事をするかではなく、どんなふうに仕事をするかのほうが重要じゃないか。仕事を通じて、ありたいようにあることができるなら」と言っていた。

どんなふうに仕事がしたい?
どんな自分になりたい?
自分に問うてみる。

取材させてもらった人やモノのことを、みんなに伝えたい。
その気持ちが勝ったとき、SNSも怖くなくなるのだろうか。

自分や、自分の書いた文章がどう見られるか、怖い、という壁を越えていきたい。
disられたくらいでやめないプライドを、持てるように仕事と向き合おう。



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