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仕事を手放さない理由が、変わっていたことに気付いた[74/100]

私が子どもだったころ、両親は喧嘩ばかりしていた。子どもの頃を思い出の2つに1つは、両親の喧嘩にまつわるエトセトラ……といっても大げさではないような感じ。

そのころ、ずっと思っていたことは「なぜ父と母は離婚しないのだろう」ということだった。

推測するに、私や妹のことを考えて……とか、経済的な事情で……とかそういうことだと思う。

そんな両親だったが、今はだいぶ落ち着いた。だいぶというか、すごく落ち着いた。もう喧嘩はほとんどしないらしい。
2人とも、年を重ねて丸くなったのもあるだろう。しかし、それよりも大きかったのは、母の経済的自立だと、私はひそかに信じている。

私が中学2年生のとき、母がパートを始めた。資格を活かして、興味のある分野で週に2日。稼ぎとしては少なかったと思うが、それでも母は確実に変わった。

元来、働くことが好きだったのだろう。それまでのキャリアの空白期間を埋めるかのように、すごい勢いで母は仕事を華麗に変わっていった。もちろん、自分の興味のあるほうに。大学で学びなおし、国家資格を取得して、65歳を越えた今でも現役で働いている。

私と母の関係も、比例してよくなっていった。以前は子どもに対して指示ばかりしていたが、双方向のコミュニケーションを取れるようになった。

そんな母の背中を見て育ったから、私は結婚するときも、出産するときも「絶対に仕事を手放さないぞ」と決意した。もしも、夫とどうしても価値観が合わなかった時、我慢してまで一緒にいないほうが、お互いにとっても、子どもにとってもいいだろうと、私自身の体験から思ったからだ。

私はいわゆる「授かり婚」をしたのだが、その当時夫は全国転勤アリの仕事についていて、東海地方にいた。

子どもを産むこと、それにあたり結婚することを話し合って決めたとき、私は彼に「絶対に仕事を辞めたくないし、チャンスが多いところにいたいので、私は東京にいます」と伝えた。

結局、夫は結婚を機に転職し、東京勤務の仕事に就いた。
私はそのまま産休・育休を取らせてもらい、職場復帰した。

いろいろと調整に調整を重ねた結果、今はイーブンに家事も育児も分担している。コロナ禍の時は8割くらい夫が家事育児を担っていた。

そんな私たちのパートナーシップは、今はとてもうまくいっているように見える。それは私が頑なに「仕事を続ける。キャリアをあきらめない」と言い張ったからだと思っている。

2年前、少し仕事に振り切りすぎて、私は自分のバランスを崩しそうになった。そのとき初めて専業主婦になってもいいか、と夫に聞いた。
そのとき、幼少期の私が「本当に?いいの?」の私に聞いて…くるかと思ったけれど、そんなことなかった。
「少し休めばいいよ」と夫は言った。その言葉をスッと受け入れられた。

結局、立て直して、休まずに今も働いている。今は仕事もいいバランスだ。
これから、夫がバランスを崩してしまったときに、「仕事辞めていい?」と聞いてきたら、「任せておいて!」と言えるようにしておこう。
以前は「いざとなったら別れる道を選べるように」だった仕事が、いつのまにか「何かあっても私がなんとか家族を維持するぞ!」という覚悟に変わっていた。

いつも私の頭にいた幼少期の私はもういない。また違ったステージに、いつの間にか私は進んでいたようだ。


今日はさとゆみさんのこの言葉をもとに、書きました。

いつも心に、リトルゆみちゃんを。

大人って馬鹿なの?【さとゆみの今日もコレカラ/042】

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