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あなたの「嫌い」はどっち?[54/100]

誰かを嫌いと思う時は、大抵こちら側にその要因がある。その人のそばにいたくないのは、その人が映し出す自分の姿が醜いと感じるからだ。コンプレックスを刺激されたり、許せない何かを突かれたり。多くの場合、自分の弱点があらわになる時に、人は人を嫌いになる。

つまり、鏡なのだ。その人が嫌いなのではなく、その人と一緒にいる時の自分が嫌い。

好きに不思議の好きあり【さとゆみの今日もコレカラ/022】

今朝この文章を読んだとき大和和紀さんの『はいからさんが通る』を思い出した。主人公の花村紅緒は許嫁の伊集院忍に対し、最初は反発しまくる。嫌いと言いながら、実は気になるあの人……みたいな感じ。

自分を映し出す鏡のような「嫌い」を感じる人には、実は惹かれているのではないか、と思ったのだ。というのも、私にも、思い当たる人がいる。

大学時代に同じサークルだったAちゃん。
当時はエビちゃんモエちゃんが活躍する『Cancam』が売れていた「モテファッション」全盛期の時代。でもAちゃんはベリーショートで古着屋で見つけたという派手な花柄のシャツに、ジーパン。歯に衣着せぬ物言いで、誰にでもズバッと指摘する。「今日の洋服、似合ってない」とか。私はそんな彼女が嫌いだった。羨ましかったから。自分の好きなファッションを貫くことも、空気を読まずに言い放つ、あの少し高慢な態度も。絶対マネできなかった。すごく魅力的だった。彼女への感情は「嫌い」ではなく「嫉妬」だったのかもしれない。

一方で、もう1人の嫌いな人Bさん。彼にはそんな感情は1ミリもわかない。一緒にいると、居心地が悪すぎて逃げ出したくなる。ただ、事情があって今もたまに会う。その時間はうまくやり過ごすしかない。「嫌い」に多分の「苦手」が混ざり合っている。

二女は「ネギ」が苦手だ。ラーメン屋で、ほんのわずかな、みじん切りの1かけらのネギでも、「ネギが入っている!」とすぐにわかる。なんで苦手かは、あまり言語化できないらしい。No reason.

「嫌い」の気持ちには理由がある、とさとゆみさんは思考していた。しかし、私はそれがうまく咀嚼できなかった。Bさんを思い出したから。「苦手要素」の入った「嫌い」は、理由なし。しかし「どうしても嫌い」になってしまう気がする。今のところ、対処法は「逃げる」一択。

逃げる覚悟ができた気がした。









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