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"無"と向き合う(人生をリデザインする #2)


人生をデザインする学校 ZERO SCHOOL

社会人歴も10年が経ち、人生第2章に進むことにした。
そんな私が今年の時間の使い道として選んだのは、
人生をデザインする学校 ZERO SCHOOL
デザイン思考、量子力学的思考、起業家精神を組み合わせながら自分の人生をデザインしていく人を育てる学校だ。

第1回目の講義後に考えたことはこちら↓

突然訪れた"無"の状態

「何も浮かばない」

2回目の講義でやったのはライフビジョンストーリー。
色んな制約は一旦横において、今自分が個性を発揮してやりたいこと、ワクワクすることを5ヵ年のロードマップに描く。

10分間で書いたけど、なーんも出ない。
一応絞り出してみたけど、とくにワクワクもしない。
自分がとてつもなくおもんない人間に思えてきた。

昔からテーマや領域、"コト"へのこだわりは強くない。
隣の人がハマっていたのに付き合ってるうちに、気づいたら私の方が圧倒的に熱中していた、がほとんど。
やりたい"コト"を考えても何も浮かばないのは、当然だったのかもしれない。

「何も浮かばない」という事実に意識を向けてしまったおかげで、この後から、"無"状態が何日も続くようになった。
5年後のことは愚か明日やりたいこと、みたいな短期的な欲すらわからなくなった。

素の自分に抗わない

無が続くことに不安はあったけど、抗うことはやめた。
というより、真っ白なキャンバスが頭の中にあるのがはっきり見えるぐらい潔く脳が"無"を貫いていて、抗うエネルギーが全く湧いてこなかった。

普段は無が怖くて、それっぽいもので取り繕っちゃうクセがある。
嘘はついてないし、その時は本当に思ったことを言っているのだけど後から自分の言動と対話すると、本心とズレていることが多い。

いつものクセは封印。
自然の流れに身を委ねる。
ほっとけば、いつかエネルギーも戻ってくる。

ZERO同期のみんなとモチベーショングラフについて話をした時、横ばいがある人がいることに気がついた。

←(左)私がよく書く形   "踊り場"がある人(右)→

これを"踊り場"と表現したのだけど、何度も書いてきた中で私は踊り場を書いたことがない。

みんなと話しながら自分の感覚を分析した。
モチベーションコントロールをする仕事場面は別として、心の奥の状態は特別刺激的なことがない限り、常に上下に浮遊している。

海の中にいる感じ。
下降する時はゆっくり落ちていくけど、長い時間落ち続けることはない。
ほっといたら、地底にトンッてついて勝手にまたゆっくり上がってくる。

クラゲって遊泳能力が低いから、水の流れのままに浮遊するんだって。

強制力を活用する

ZERO SCHOOLでは、ライフビジョンストーリーや事業計画の課題提出があったけど、ゴールデンウィーク中、一切考えることをやめていた。
もしかしたら間に合わないかもしれないけど、そのことに悩むのはやめよう。

健康的な生活をして、自然の中で遊んで、街を散歩して、読みたい本を読んだ。

社会人になってから何にも追われずに、心のままに休日を過ごした記憶があんまりない。
改めて言うことでは全くないけど、休む・遊ぶって大事。
私の生活は、この2つの時間が圧倒的に少なすぎた。

ゴールデンウィークが終わって、ライフビジョンストーリーの締切日になって、やっとちゃんと向き合ったら15分で3ストーリーがスラスラ書けた。
事業計画はまだ1文字も書けてないけど、何かが出る気配だけはある。

強制的にアウトプットする機会や期限があるのはめちゃくちゃ大事。
どれだけ横道外れたって期限までに意地でも戻ってくるしかないから、プロセスで冒険しやすくなる。

ただ強制力は振り回されるものじゃなくて、活用するもの。

個性を発揮するという自由で広大な感じと、そんなに簡単には出せないアウトプットをとにかく出す!という強制力。
この両面を持ち合わせているのがZERO SCHOOLのいいところであり、この環境をどう活用するかが、まさに自分で人生をデザインするということ。


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