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【番外編】ときどき、正気の沙汰に戻る

というか。
今の自分にピントが合う、と表現する方が
感じていることにより近いのかもしれません。

最近、ずっとずっと「怒りと焦り」に支配されていました。

ということに、今朝気づいたのです。

周囲から容赦無くわたしの時間が奪われていることへの怒り。
自分がやらねばならぬことと、やりたいこととの折り合いがつかない焦り。

わたしが一番嫌な「やっつけ状態」で
ここ数週間を過ごしてきたように思います。
流石に仕事だけは「やっつけ」ではやらないのですけれど。
そのほかのことは「ええぃ!」という勢いで乗り切ってきました。

そんなだったから。
見て見ぬふりをしてやり過ごしてきたことが、
気づかないふりをしてきたことが、
実際に見ていなかった、気づかなかったことが、
あまりにも多い気がする。

そう気づいたときの愕然とした気持ちときたら!
でも、愕然としながらも
「気づけてよかったー!!」
とも思いました。

よかったね、わたし!
自分で自分に拍手☆

◇   ◇   ◇

ひたすら早歩きしていた自分の肩を、
後ろからトントン!と叩かれて
「えっ?!」
と立ち止まり、振り返った・・・

今朝感じたのは、そんな感覚。

トントン!と肩を叩いてくれたのは
他でもないnoteでした。

わたしは毎日noteへ投稿しています。
それは、わたしにとって
日々の大切な習慣に他なりません。

毎日の玄関土間の水拭きよりも、ずっとずっと以前から毎日の大切な習慣として
わたしの日々に根づいているnote。

なのに、最近ではnoteがほとんど備忘録のようになっていて。

そして、これは以前にも書いたことなのですけれど。
1日ひとつ、シアワセだと感じたことをどんなにしてでも見つけるのは
ともすればすぐに俯きがちになる自分の気持ちを、奮い立たせるため。
明日を生きようという気持ちに、自分を持っていくため。

そう思って書いていたはずなのに。
最近はなんだか漫然と綴っていたのです。

それって本意??

さらに。
大好きなnoterさんたちのページを満足に訪問できていないことに
薄々気づいていながらも、見て見ぬふりを続けていました。

今朝、ほんのちょっとだけ気持ちと時間に余裕ができた瞬間があり。
スマートフォンでnoteを開いたところ
目に飛び込んできたのは、shinku|読書ヒーリングさんの投稿でした。

「あれ? わたし、久しぶりにshinkuさんの投稿を目にする気がする・・・」

そう思いながら、最新の投稿から過去の投稿へという順に
遡って読ませていただいていたら
どこまでも遡っていけるではありませんか・・・

わたし、この数週間(数ヶ月?)、noteで何を見ていたの?
いや、何を読んでいたの??
shinkuさんが綴られる本の紹介から
いつも新しい世界を教えていただいて、
たくさんの気づきを得させてもらって。
その感覚が嬉しくて、大好きで読ませてもらっているのに。
好きな投稿にも気づけずにいただなんて。

本当に愕然。。。

でも、もう一度同じことを書いちゃうんですけれど。
やっぱり「気づけてよかった!」という思いの方が
強くって。
嬉しくなったんですよねぇ。
わたしって、どこまでもノーテンキ・・・

shinkuさんのおかげで、本を読みたい!と
心の底から思いました。
本を読む時間を確保するために、仕事を頑張ろう。
家事は家族へも振り分けよう。
日中の用事をテキパキと済ませよう。
・・・と考えながら、noteを綴っている次第です。

◇   ◇   ◇

それにしても、わたし。
だいぶ「ダメダメ」だったと思います。

どこにそれが現れているかというと、食事。

ひとと食べているときは、いいんです。
まともなものを選んで食べている。
そして、家族にはちゃんと供しています。

だけど、自分はロクなものを食べていなかった。

食は生(せい)の原点なのにね。
食べることが大好きなのにね。

◇   ◇   ◇

そうそう、こんなダメダメなわたしではありますが。
直近(と言っても1ヶ月ぐらい前だなー)で読んだ本から
いろいろと考えさせられました。

緩和ケアの医師が書かれた本です。
命に期限がついてしまった方々と接する日々の中で
感じたこと、気づき、実践してきたことなどが
医師として、ひととしての視点から綴られています。

この本、隣県にある大きな書店にて完読してきました。
そのとき、たーっぷりと時間がありましてね〜。
それに、その書店は至る所に椅子とテーブルが置かれていて
「どうぞ座ってじっくり本を読んでください!」という
空間がつくられているんです。

ありがたく、腰を下ろして・・・
というより、根を生やして(笑)、読書に勤しみました。
おかげで、3時間ほどで1冊完読できたわけです。

この本に書かれていた問いから、いくつか考えさせられたことがあります。

あの世には、お金も地位も名誉も持っていくことはできません。
まもなく命を終えようとしているときに、世間体を気にする必要もないでしょう。
そうした状況で、自分に幸せや安らぎを与えてくれるものは一体何なのか。

小澤竹俊 著『もしあと一年で人生が終わるとしたら』より

この文章を読んでから、わたしは自分にずっと問いかけています。

これが生身の自分で過ごす最後の「この世」だとしたら。

どこに居たい?
何を見たい?
何を聴きたい?
どうしたい?

誰と過ごしたい?

他にも、問いがありました。
「人生で最も思い出深い出来事はなんですか?」
「大切な人へ伝えたいことは?」
「誇らしいと感じたことは?」
「ささやかでも達成できたことは?」

パッと答えられなくていいと思うんです。
自分の人生を振り返るきっかけになる問いなのだから
じっくりと振り返り、拾い上げていけばいい。

そして、本を読んでいる間。
わたしは、本の世界に没頭する感覚に身を委ねた・・・
そのことがとてもとても自分を癒したんですよね。

知っていた感覚なのに、久しぶりすぎて。
「ああ、この感覚、好き!」
と、時折本から目を上げながら、思いました。

トキメキ、ワクワク、高揚感。
きらめきを掬い上げてポケットにしまったような感覚。

それを忘れてはいけない。
時折、ポケットから取り出し、
眺めて、触れて。
日々の支えにしていこう。
1日ひとつのシアワセ探しとともに、
日々の大切な習慣にしていこう☆

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