先崎学「一葉の写真」読んで、藤井聡太は羽生善治を超えるスターになるのか考えた。

2022年06月05日1992年発行だから、30年ほど前に書かれたことになる。
(今は2022年)酒を飲みまくって、ギャンブルをしまくっていらっしゃいます。
むかしはそれが当たり前だったのかも知れない。
羽生善治ともけっこう飲みに行ったりしているのが意外といえば意外。
羽生はそんなことしなさそうなイメージだったので。
ちなみにタイトルの「一葉の写真」というのは、先崎と羽生とのツーショット写真のこと。
将棋雑誌の記事に使われた写真で、先崎は「元天才少年(?)」と紹介されてあり、大ショックだったと明かしている。
クエスチョンマークがなかったら将棋をやめていたとも。
先崎と羽生は1970年生まれ。
羽生が頭角を現わすまで「天才少年」というキャッチフレーズは、先崎の代名詞だった。
そりゃあこんな書き方をされたら傷つくよなあ。
ただ本を読んだ限りでは、ご本人は酒に、競馬に、麻雀に、ボートに、カジノに遊び回っている印象なので、記者に多少悪意をこめた書き方をされても気にしない人かと思っていた。
よい意味で多才な人で、将棋にかける情熱が、少なくとも羽生よりあるようには見えなかった。
あくまでもはたから見ての話であるが。
「コンピュータは人間に勝てるのだろうか」なんて書いてある。
今からすると信じられない意見だが、30年ほど前は、99.9%の人が、「コンピュータは人間に勝てない」と思っていた。
棋士のおごりから出た言葉では決してない。
そういう時代だったんだ。
人間の脳が計り知れないほど奥深いと思われていた時代。
酒を飲んでも勝てるのであれば、そりゃあ飲むよな。
師匠の米長邦雄が序文を書いている。
これがとにかく圧巻。
かなりの苦言を呈している。
弟子が「名人戦も地に落ちた」と書いたのが許せなかったか。
米長からしたら立腹ものだろうが、敢然と書きはなった先崎の若さを私は称賛したい。
地に落ちたかどうかは知らないが、スポンサーの毎日と朝日新聞の経営が苦しくなれば、っていうかすでにかなりやばいわけで、スポンサーを降りるのは時間の問題と私は思う。
そうなったとき、名人戦の冠はそのままで、どこかのIT企業がスポンサーになるんだろうな。
孫正義が買い取ったら「ソフトバンク名人戦」とマスコミに呼ばせるにちがいない。
ああ、いやだ、いやだ。
ところで将棋というのはいっしょうけんめい勉強すれば強くなるものなのだろうか。
若い頃からすでに強さは決まってしまっているのではないかと思う。
そんなことをいったら身もフタもないが。
しかしなあ、藤井聡太が神の一手を指しても、それを解説できる人がいないんだからなあ。
次元がちがうってことか。
「おお、ソフトと同じ手を指しましたね。
さすがです」くらいしか言えない。
あとは昼は何を食ったかとか、そんなことばかり。
へたな考え休むに似たりで、いっそのこと10秒将棋とかにしてくれたほうがありがたい。
観ていて飽きないしね。
将棋人気は羽生の頃がピークだったと思う。
それは七冠がどうこうというのもあるが、羽生のキャラクターがよかった。
彼にはスター性があった。
もし仮に谷川か、森内か、あるいは渡辺明が初めて七冠制覇を達成したとする。
その場合、マスコミは果たしてありがたがるだろうか。
羽生ならどんなジャンルの人間と対談をしても面白いものに仕上げてくれる。
森内だったらどうか。
「あ、はい」「あ、はい」ばっかりになるんじゃないか。
将棋指しは将棋だけ指していればいいんだと、腹の中で思っていそう。
そんなイメージのある森内が今やYouTubeチャンネルをもっているというのだから、時代も変わったもんだ。
藤井聡太はどうなのか。
アイドルと結婚するのか。
女がほっとかないだろうな。
いやいや、問題はそこじゃなくて。
彼はスターなのか。
なんかカスミを食って生きていそう。
どちらにせよ駒が足りない。
だからこそ先崎の才能が貴重に思えてくる。
他にいるのか、面白い人。
私は、羽生と先崎しか知らない。
これでいいのか。
先細りしないか、他人事ながら不安。
だってみんな、コンピュータより弱いんだもん。
棋士という職業の存在意義、問われる時代になったんじゃありませんか、という話。
人間の中ではいちばん強いから大丈夫? 価値がある?本当にそうだろうか。
円周率、何万ケタ言えます、とか、暗算日本一です、とかいう人たちと変わらなくなってきたんじゃないか。
今まで偉い存在だったから、これから先もリスペクトをしてもらえる?うーん、どうだろう。
ちょっとあやしい気はしている。
「そんなに優秀な頭脳を持っているのなら、将棋なんかしていないで、日本の経済復興のために使ってくれよ」とか、多くの人が心の中では思っているんじゃないかな。
ゲームがうまい人が何億も稼ぐ時代だから問題ない?そうかなあ。
少なくとも彼らは、一部の人たちをのぞいて、尊敬の眼差しで見られてはないと思うんだよね。
将棋指しは、尊敬の対象だった。
ここがちがう。
だけどコンピュータに勝てなくなってしまった。
差は開く一方。
それでも尊敬されつづけるのか、ちょっとこれからは怪しいんじゃないですか。
いや、前言撤回。
やっぱり将棋指しはいてほしい。
こんな残酷な世界、あるだけでいましめになる。
40すぎるとたいてい成績が落ちてくる。
これは切ない。
観ているほうもいたたまれない。
だがそこがいい。
何だ、私はくだんの記者より残酷じゃん。

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