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(辛口)発信の「かろやかに」「しなやかに」のその先は?

※最初に謝っておきます、すみません。今日の記事はかなりエッジが立ってます。


「かろやかに」「しなやかに」 昨今よく耳にする言葉である。
その先に続く動詞は「生きる」が多い。生きるためにはお金が必要なので、「かろやかに」「しなやかに」生きる、と「挑戦」や「副業」は相性が良い。

ここに、またしてもわたしのひねくれアンテナが立ってしまった(毎度スミマセン…)。

「かろやかに」「しなやかに」という言葉を免罪符に、行動することが目的になっていやしないか。
挑戦したその先にあるものは? 挑戦して何をかなえたい?





かくいうわたしも、「かろやかに/しなやかに教」の信者だった。
この言葉は、挑戦にしり込みしてしまう人へのファーストステップとして有効だ。

最初に「かろやかに/しなやかに」を唱えた人は、立派だ。その方々にとって、この言葉は、まさしく理想の生き方に向かうための勇気づけの言葉だったに違いない。

しかし今は、「かろやかに/しなやかに教」の亜種が大量発生している。

中途半端に挑戦した結果の、振り返りのなされない「かろやかさ/しなやかさ」の残骸。
今ここから抜け出したいだけだ。でもそれは、本気じゃない。だからずっと「かろやかに/しなやかに」と殊更に強調する。


かろやかに、これをやってみました。
しなやかに、やめました。
かろやかに、再挑戦します。




いやいやいや、それじゃ、ずっと素人だよね?
素人だから多めに見てね、というプロダクトになにか価値があるのだろうか?


今回わたしがこんなにも「かろやかに/しなやかに教」にエッジの立った記事を書いたのは、怒りにも似た感情を持ったからだ。

何に向かっているのか、その先にゴールがないかもしれないのに「かろやかに/しなやかに」挑戦しても、失敗経験を積むだけ。
そうして、せっかく現状から抜け出して「変わりたい」と思った人の自己肯定感を削いで、「わたしにはできない」と思わせるだけ。

違うのだ。正しいやり方で、正しい努力をすれば、たいていは報われる。わたしはそれを、社会人経験を通して見てきた。

本気でやるなら、言い訳しない。本気でやるから、ファンができる。
挑戦とは、戦略があるからこそ。戦略とは、ビジョンがあるからこそ。
ビジョンとは、課題解決のこと。何が課題で、何を解決したい?


わたしもまだまだ勉強中だし、副業といえるほどのものもない。
だけど、これだけは声を大にして言いたい。夢を見ることと、計画を立てることは別なのだ。

わたしは、本気でキャリアについて考えたいから、ファーストステップとして資格を取った。本気だから、自分の言うことに責任を持つ。

わたしに関わってくださった方には、「続かない」「変われない」「やっぱりダメだ」、こんな思いをしてほしくない。こんな迷子を作りたくない。

それがわたしの、モノづくりのポリシーだ。


だから、「かろやかに/しなやかに教」に入信しているな、と心当たりのある方には、ぜひ考えてほしい。

かろやかに挑戦することの目的と意義。
結果を出すまでの期日を作ること。
挑戦したものの数値を定量的に評価すること。
そして必ず、振り返りをすること。

わたしもまだまだだから、一緒にがんばりたい。「どうせ自分はダメだ」という人を作りたくない。

ともにがんばりましょう。




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