きょうだい喧嘩にまなぶ民主主義
みなさま、夏休みをいかがお過ごしだろうか。
我が家は今週から夏休みがはじまった。上の子がサマーキャンプから帰ってくるなり、顔を合わせれば、すぐさまきょうだい喧嘩が勃発する。
4学年差だから喧嘩も起きないだろう…と考えていた過去の自分、ドンマイである。
子らの名誉のために言っておくが、彼らはとても良い子たちだ。心優しく、礼儀正しい……平時は。
喧嘩の原因の95%は、上の子が使っているものを下の子が欲しがるパターン。残りの5%は逆パターンだ。
こんなとき、わたしはどうするか。基本は放って置く。だっていちいち親が仲裁してたらキリがないから。
あまりにヒートアップしたら、その時初めて声をかける。
気を付けているのは、わたしがジャッジしないこと。必ず、「あなたたち二人で話し合いなさい」と伝えている。
それでも解決しない時は、余裕があれば、交通整理の役割を買って出る。余裕がなければ、とりあげる。
民主主義で解決できない場合は双方が損をするのだ。
こんな経験をいくつもすると、わたしの育児に発見が生まれる。
わたし(というか親)の役割とは、彼らの中に規律を作ることと、許容範囲を拡げることだ。
前者は、しつけ。社会で生きるためのルールを教え、そのうえで彼ら独自の美意識を醸成するのを手伝うこと。これをやったらマズい、これはわたしのスタイルではない、そういう美意識が、生きる指標になると考えるからだ。
後者は、畢竟、社会で生きる上でのお守りになる。「情けはひとのためならず」というけれど、まさしくそうだな、ときょうだい喧嘩を見ていて思う。
自分の美意識と反する行動を他者がとったときに、どう対応するか。そのすべてを否定するのか、ある程度は「しかたないな」と許してあげるのか。
許容範囲がせまいと、生きるのに苦労する。それは外国で暮らすと顕著に感じる。
たとえ素晴らしい道徳心が備わっていたとて、それにそぐわない事象が発生したとき「それは道徳に反しています! いますぐ是正しなさい!」と言っても、相手は聞いてくれないからね。
相手のすべてを自分にフィットさせるのではなく、妥協点を探すこと。お互いにスイートスポットを探ること。あれ、もしかしてこれが「民主主義」?
ということは、彼らはこの地獄のようなきょうだい喧嘩を繰り返して民主主義を学んでいるんだな。
そう考えれば、この喧噪を我慢できる…はず……。
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