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元・音大志望の36歳、タイでショパンを弾く

幼少期、人よりちょっとだけピアノが上手かった。
それでわたしは大いなる勘違いをした。「将来はピアニストになるんだ」と。


事の発端は、NHK教育テレビだ。

母とテレビ電話をしている最中、「ショパンの『革命』が弾きたいのだけど、まみちゃん楽譜を持ってない?」と突然聞かれた。
なんでも、「3か月でマスターするピアノ」というEテレの番組が母の心に火をつけたらしい。

わたしは今、夫の転勤に伴いタイに住んでいるので、手元の楽譜を貸すことができない。

ただ、ほとんどのクラシック曲は著作権が消滅しているので(パブリックドメイン)、インターネット上の楽譜ライブラリーにアクセスすれば、誰でも簡単に楽譜を入手できる。

その旨を告げて、PDFを母のLINEに送った。弟のどちらかが実家に寄った際、プリントアウトしてあげたらしい。母は、「少しでも革命が弾けるのが嬉しい」とはにかんだ。


革命のエチュードとは、ピアノの詩人、フレデリック・ショパンが作曲した練習曲作品10-12のことだ。5本の指をすべて使った破裂音から始まるこの曲は、全音ピアノピースにおいて「難易度F(上級上)」に指定されている。

アマチュアピアニストならだれでも憧れ、そして挑戦する曲のひとつだろう。

若いわたしも、この曲を弾いた。高校生で、まだ、本気で音楽大学を受験しようと考えていた頃だった。
難易度Fといえど右手の動きは単純で、左手も型が決まったアルペジオを弾くだけなので、存外難しくはなかったのだろう、わたしレベルでもある程度の速さで弾くことができた。

ブルグミュラーの「アラベスク」から始まり、「ソナチネ」、「エリーゼのために」といったクラシックの初歩を踏み入れた時からようやくここまできたのだと、誇りに思った。

しかしわたしは結局、音大を受験すらせず、高3の春に進路を切り替えて、一般の大学を受験した。
なぜなら、「自分レベルで音楽の世界で食っていけるわけがない」と悟ったからだ。

それは、ピアノの先生からの「現実を見なさい」という愛情だったのだろう。先生にすすめられて、高2の冬、志望する音大の冬季レッスンを受けることになった。

そしてわたしは、絶望した。今でも覚えている、木枯らしのふきすさぶ、レッスン後の帰り道。17歳の胸ははりさけそうだった。レッスンを終えたわたしは涙目になりながら、一歩一歩、見知らぬ駅へと進んでいく。

音大受験なんてとんでもない。なんてうぬぼれていたのだろう。



タイに引っ越す際、ピアノは専門の倉庫に預け、その代わり、娘のレッスン用に電子ピアノを購入した。高温多湿なタイの環境に、年期の入ったアコースティックピアノは耐えられないだろうと考えたからだ。

母からの電話で久々に思い出した「革命」。ピアノ椅子にそっと座ったまま、その懐かしい名詞の響きを堪能した。ふと思い立ち、ピアノ横に無造作に積み重ねられた楽譜をあさる。

あった。ショパンのエチュード集。

パラパラとページをめくり、12番を探す。何度も開かれた後が残っていたので、それはすぐにみつかった。

ピアノの電源をつける。両手を鍵盤の上にセット。一呼吸した。

冒頭の和音。その電子音に驚いたが、休む間もなく、左手の速いパッセージがつづく。

指が動かない。やっぱり、あの頃のようには弾けない。

それでも、わたしは弾き続けた。イントロの最後は、両手のユニゾン。ドシソファミレミレ……ユニゾンを切り抜けると、左手の伴走が鍵盤上を躍動する。切り裂くように突如現れる、右手オクターブの旋律。

指が動かないのに、指が動く。指が覚えている。

涙が出そうになった。なんてテンポの遅い革命だろう。止まってしまいそうだ。けれども、決して止まらない。わたしの指が、音をすべて覚えていてくれたからだ。指が、わたしを肯定している。

「音大に行けると信じていた自分」「進路設定を誤ったがために受験準備が遅れた自分」、そんな過去の自分をずっと取り消したかったのだ。

本当は小さい頃から猛練習をして、コンクールに出なければならなかったのに、そんなこともつゆ知らず、能天気に遊びまわって、ちょっと上手かったぐらいで勘違いして、それで結局、惨敗した恥ずかしい自分。いない方が良かった。記憶ごとなくしてしまいたかった。

しかし、けなげにも、指は音を覚えていた。それは時空を超えて渡された、高校生のわたしから36歳のわたしへのプレゼントのように思えた。

あの頃の努力は、本物だった。どうやったら美しく自分を表現できるか、常に音色を探求していた。冒頭の和音だって、納得がいくまで30分でも弾き直した。

それは、滑稽な出来事なのだろうか。「どうせうまくいかないよ」の一言で片づけてしまって良い過去なのだろうか。

ちがうよな、と思う。無駄にはならなかった。だって、「〇〇の奥さん」「〇〇ちゃんのママ」でしかないわたしに、ピアノを弾いているこの時間だけは、「わたしである」という実感を与えてくれた。

コンサートホールで、最高級のピアノで、派手なドレスは着ていないけれど。タイの一室で一人聴衆もなく、安物の電子ピアノで、クタクタになった普段着を着ながら弾く、超低速の「革命」。


最後の和音を弾き終えた。すぐに消える音色。
人に聴かせられる代物ではない。ひどすぎる。

でも、わたしにとっては立派な演奏だった。それでいい。誰が聴いてくれなくたっていい。わたしは「わたしである」ために、ひとり、演奏する。どうかな、高校生のわたし。これで、少しは供養になったかしら?



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まみ┆キャリアコンサルタントな駐妻
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