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成功者でなくていいから、優しい人でありたい

フリーランス全盛期だ。

会社員として時間を捧げる生活に疲れ、自分の時間を自分でアレンジできるフリーランスに挑戦する人も増えてきた。
みな、「自分らしく生きる」ために必死なのだ。

そして、一億総発信時代でもあるので、昔なら成功者の思考に触れることがなかった一般庶民のわたしのような者にさえ、彼らの発信が届くようになった。

多くのフォロワーを擁するような並外れた成功者は、どちらかというと「強い」方だ。強いということは、自他ともに厳しいということでもある。


思えば、勤めていた会社だって、上に行く人は自他ともに厳しい人だった。大企業をまとめあげる度量のある人、つまり並外れた成功者はみな「強い」のだ。


私は、この「強さ」について、向き先(自分/他人)とその強度を四象限に分けて考えた。


  1. 自他ともに厳しい

  2. 自分には厳しく、他人には甘い

  3. 自分には甘く、他人には厳しい

  4. 自他ともに甘い



すると、こんな図式が見えてきた。




成功者は確かに、その厳しさ故に成功したのだろう。
自分にも他人にも、要求する難易度が高いのだ。そして、その要求に応えられなければ代替人員に発注する。それこそが事業を発展させる術だから。

もちろん、仕事とはそういうものだ。だけど仕事は、人間が人間のためにやるもの。そこには必ず、人間がいる。他人がある。他人とのかかわりで仕事は構成されているのだ。

そして、仕事とプライベートのキャラクターが完全に分かれている人間は、役者ぐらいだ。裏を返すと、その人の仕事ぶりには必ず、その人の性格が表れる。


ここまできて、わたしは「並外れた成功者でなくてもいいな」と思った。
それよりは、他人を許せる余白を残しておける自分でいたい。




世の中には「自己責任論」がはびこっている。
私が2023年読んで良かった本のひとつに『ファスト教養』(著:レジ―) がある。この本によると、現代は過度な自己責任論に振り切れているという。

「わかっててその選択したんでしょ?」
「なんで自分で行動起こさなかったの?」


私も、現状にウジウジ文句を垂れる人にこう言いたくなる時があった。
だけど多くの人と知り合い、親になり、キャリコンの資格をとり、いろんな本を読んでいくうちに、自負心ともいうべきその考えはだんだん鳴りを潜めていった。

「わかってても、その選択をとってしまう人がいる」
「行動を起こせない人もいる」


わたしは、こういう人々に共感できなくても、理解はできるひとになりたい。


自分でも分かっている通り、これは「損な役回り」になるだろう。だけど、困っているひとには手を差し伸べたいし、どうしたら現状を良くできるか一緒に検討したい。そういう考えもあるんですね、と一言添えられる自分でいたい。


わたしは並外れた成功者になる道を諦めた、だけど、「共感できなくても、理解はできるひとになりたい」、この気持ちは、非常に「自分らしい」と思えた。


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